「児玉進矢」さんからのコメントです。2021年5月8日ぶん
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ド田舎会長の影響でabemaで名人戦第三局を見ました(結果はご存知の通り渡辺名人の勝利)。将棋に関して子供の頃の記憶を辿ると、大山康晴という絶対王者がいて、宿命のライバル升田幸三、若かりし頃のひふみんこと加藤一二三、兄弟はアホだから東大へ行ったと豪語した米長邦雄、おゆきがヒットしていた歌手兼務の内藤国雄などが活躍しているところに新進気鋭の自然流中原誠が登場して一時代を築こうとしていました。以来半世紀、久しぶりに見る今の将棋放送はAIの戦況判断も取り入れて、解説者もくだけていて断然昔よりもエンターテイメント性がありますね。楽しませていただきました。
将棋の駒では「歩」が良いですね。尺取り虫のようにしか進めず、華麗な動きも一切なし、いざ戦闘が始まればいの一番に討ち死にし、一局の中で名誉の戦死を何度も繰り返す。時には敵の前に囮として打たれたり、更には「垂れ歩」として敵陣に独りぼっちで落下傘部隊よろしく打ち捨てられたりします。序盤で王将や金銀が自陣でゆったりと過ごしている時に最前線でまさに肉弾戦・消耗戦をひたすら展開するさまのなんと健気なことか。まるでリゲイン飲んで24時間働けと言われていた昭和サラリーマンのようです。
ところが、将棋のルールでは「打ち歩詰」「ニ歩」は禁止、即反則負けになります。こんなルールに縛られて活躍のチャンスを逃しているのは将棋の駒の中でも歩だけです。桂馬なんかはあんなトリッキーな動きでも反則にならないのに、歩は随分な扱いをされているではありませんか。「打ち歩詰」禁止で言えば、王様の首をさっきまで味方だった歩兵に討ち取らせるわけには行かないという武家社会のしきたりの影響を感じますし、「ニ歩」の禁止では、歩兵はいつも敵弾の最前線で身体を張れ、同僚の歩兵を弾除けにするな的な散華の美学の匂いがします(ちょっとこじつけですか)。
しかしこのルールがあるお陰で、自玉がすんでのところで詰みを免れスリリングな逆転劇につながることがあったりします。まあ、歩の側もこの理不尽なルールに何の文句も言わずに数百年間に亘って従っていますから法律的にはとっくの昔に時効が成立しているとも言えます。世の不条理に耐えながら今日も歩たちは前へ前へと進み、将棋ファンを熱狂させる大勝負の名脇役となっていることでしょう。名人戦の続きと来月から始まる藤井棋聖の初防衛戦から目が離せませんね。
↑「児玉進矢」さんからのコメントです。