海外「思い出」マカオ-b

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「マカオ」をお送りしています。香港から75㌔離れて、広東省の珠海市の小さな半島に「マカオ」があります。そのそばの「タイパ島」そして「コロアネ島」を一緒にして「マカオ」特別行政区(中国)ですね。最初の頃は、「タイパ島」と「コロネア島」は離れていましたが、埋め立てで「コタイ」地区となりました。

山口は、「フランシスコ・ザビエル」の絡みがありますから「聖フランシスコ・ザビエル教会」(コタイ)にも足を延ばしました(ここはタクシーにて)。現在「マカオ」は、「ラスベガス」を抜いて、世界1収益のカジノ都市に成長しています。香港からも海を渡る長い橋(港珠澳大橋)でも行けるそうで、まあビックリですね。

様々なホテルも、「ウイン・マカオ」 「ベネチアン・マカオ」など、アメリカ資本の進出が目覚ましいものがあります。「ホテル・リスボア」(リズボア)も、様変わり、大きなホテルに変わっています。☆マカオでは、高級ホテルに宿泊したことはありません。格安ホテルが、いっぱいありますから、、(ダイハツ工業の旅行は別です)

「マカオ・タワー」にも行きました。ラスベガスの「ストラトス・フィア・タワー」にそっくり、バンジー・ジャンプは見ただけですが、やはり、「香港」「中国大陸」その他隣国のお客様で、世界一の稼ぎになったのでしょう。ここは歴史的な遺産が沢山ありますから、ボチボチ歩いて散策するのがお勧めです。市内循環バスもお勧めです。「マカオ」は小さな狭い処です。とても安全のような気がしました。☆「ポルトガル」の植民地 それ以前の「マカオ」の遺産を散策しました。

古い話ですが、「マカオ」と「珠海市」の境界近くに「ドッグレース場」があったんですね!(今はありませんが、、)たった一回だけ、行ったことがあります(それも一回だけ賭けた)。何と!何と!大穴が入って、(当時の)1000円が10万以上に大化けしたことがあるんです。

大昔ですが、レースがスタートして、本命の2匹(頭)が、途中でケンカを初めて、大穴の 5-6(連勝複式)を1000円くらい 購入したのが的中したのです。周りの「マカオ」の人たちが、たくさん集まってきてワァ~ワァ~騒いだのを思い出しました。→ 実は、イチバン予想の悪いワンちゃんが入賞したもの。何も考えずに犬券 5-6 を購入しただけ!☆色々な国のカジノへ行きましたが、後にも先にも、勝ったことは(ほとんど)ありませんね。(爆笑)

当時日本円換算で50円~100円 賭けるのが相場、それを1000円賭けたのですから、現在の価値でいえば、勝ち金は50万くらいの金額でしょうね!(おもちゃの様な)幅広い紙幣をバッサリもらいました。☆韓国でも「マカオ」でも近場のカジノは、青年部の仲間→ 正原の卓ちゃんがいつも一緒、、

但し、日本円への換金が出来なくて、米㌦にも交換できず、香港㌦に交換してもらいました。それを香港に戻っても日本円に出来ず、米㌦にするのに、交換レートの半分くらいでOKした記憶があります(ヤミ換金業者)。まあ、そんな時代でしたねえ!(爆笑)→「ポルトガル」の植民地のころです。かなり昔は「韓国」でも、そんなことがありました。

中国本土からのお客さんは、午前中に貸し切りバスできて(コタイの大陸側に橋があった)そのままカジノへ、ホテルに泊まらずそのまま帰る集団がほとんどでしょう。まあ、風体の良くない Renーcyu が、目の前の「バカラ」や「大小」に、バッサリ札束を置くのを見たことがありますが、中国本土~香港からのギャンブラーは、賭け方が半端じゃあアリマセンね!

日本では、なかなかカジノが出来ませんが、この辺りの状況が、どの程度認識があるのか?何とかの先生、反対する陣営 全く分かっていませんね!日本でカジノが出来ても、通常の日本人は(まず)行けませんね。すぐ自己破産になりますから、まあ、Paや公営Gyaとかを、ちょろチョろするのが安全、、カジノは世界中の人さまが相手の立派な商売と思います。☆「中国系」「中東系」が ワンさ来ますね。

(日本人は)まあ、行っても一年に1回か?二回、まず続きませんね。確実に全員が負けますから、、店は確実に儲かります、、カジノはそんな処、負けても負けても行くところ、貸金をナンバー・コントロールしさえすれば、それほどの心配はないと思います。但し、Yami-キン(金)のコントロールが(いちばん)心配でしょう。それは、現在の日本でも、すでに起きている現象です。カジノに絡んだ者は、生活保護から除外、刑務所か病院へ直行ですね。(しかし)これもお金がかかるし、、、さて、、少し余談が過ぎました。真面目な「海外~思い出」に戻さなくては、、

☆ペナン(マレーシァ)を お送りします、、

 

海外「思い出」マカオ-a

マカオの「思い出」をお送りします。自分の海外旅行のいちばん最初が「香港~マカオ」旅行なんですね。1970年(昭和45年1月)山口ダイハツ販売㈱の旅行でした(24~25歳 独身の頃)。海外旅行が初めてで、背広にネクタイ姿でした。マカオには日帰り(香港~マカオ 船定期便)にて、香港旅行の ついで の感じ、あまりよく覚えていません。マカオには(結果的に)5回以上は訪問しています。

〇香港が「英国」 〇マカオが「ポルトガル」の 植民地でしたから(自分は)、歴史の証人の1人かも?しれません。二度目の時(地元の商工会青年部の有志)10名くらいで、自分が段取りをして「マカオ」での宿泊!の旅行をしました。まだまだ現在とは異なり、街全体が薄暗くて、物騒な感じを覚えています(安宿)。☆ホテル・リズボアにも行きました 

☆マカオは、1999年中国へ返還  「特別行政区」となり、家内と二人で行ったり、色々なグループで行きましたね。まあ、コメントをしきれませんが、思い出としては(そうですねぇ~) 〇セナド広場 〇聖ポール天主堂跡 がいちばんでしょうか! 案外と 〇「聖フランシスコ・ザビエル教会」(コタイの端っこ) そして 〇「マカオの丘」を散策したことでしょうね!

家内とマカオ(街中や観光地)を歩いたり、市内バスに乗ったり(アチコチ)していましたら、小さな ケーブルカー があって、丘に登りました。(丘には)誰もいませんでしたが、そのケーブルカーの主力エンジンが(登り口)、日産サニーの乗用車のエンジンだったのです。こんなことに気付くのは、自分だけでしょう。丘の上には超古い発電機もありました(苦笑)

まあ、観光地的なことは、ネットで判りますから(ネットではわからないこと)ペナン島の 〇「ペナンヒル」 そして 〇「マカオの丘」それぞれ(当時は)植民地です。ペナン島=マレーシァ は「英国」 マカオは「ポルトガル」の植民地、どちらにもケーブルカーがあるのです。電力事情の乏しいころ、すでにケーブルカーが動いていたのです

(ペナン島)車台の下部に、タンクを作り、(水を)入れたり出したりして上がり降りした「最初の客車」が置いてありました。  マカオは「水力発電」で電気を確保、ケーブルカーの電力を作ったとか!記述がありました。

この水力発電ですが、マレーシァの「ゲンティン・ハイランド」(1700㍍)も、その電力を水力発電で作ったと記述(説明書がありました。)まあ、山頂の開発の前に、中腹から水脈を見つけ、それを落としてタービンを回し、作った電力で大工事を行う、、まあ、こんな按配でしょう。日本が「江戸時代」の頃に、(ヨーロッパでは)既に自動車があったり、蒸気機関車があったり、蒸気船があったり、「ヨーロッパ~アメリカ」はこんな処、日本とのすべてのギャップに驚くばかり、こんなところが実に面白いですね!

マカオ 続きます、、

==========水力発電の歴史(ネットより)↓

水車を回して製粉や紡績を行なう「水車小屋」は、大昔からありました。しかし、それを発電に応用するようになったのは、19世紀に入ってからです。産業用の水力発電機の原理、つまり車輪を回転させて電気エネルギーを発生させる「ダイナモ」は、フランスの技術者のヒポライト・ピクシーが1832年(天保3年)に発明しました。その後、19世紀後半になって水力を利用した水力発電所が建設されるようになりました。

========蒸気船の歴史(ネットより)↓

世界最初の実用的な蒸気船は、1783年にフランス人であるクロード・フランソワ・ドロテ・ジュフロワ・ダバン ( Claude-Francois-Dorothee, marquis de Jouffroy d’Abbans)によって作られた。

1788年2月1日に、アイザック・ブリッグスとウィリアム・ロングストリートによって、蒸気船の特許は取得されている。1791年にはアメリカでジョン・フィッチらが蒸気船の特許を得ている。しかし、ロバート・フルトンが、1809年2月11日に改良設計した特許を取得し、商業的に成功した。

ロバート・フルトンは、外輪式蒸気船「クラーモント号」を開発し、1807年8月17日ハドソン川で乗客を乗せた試運転に成功したことでも知られている。このため、一般には(実用的な乗り物としての)蒸気船を発明したのはフルトンだという印象が定着している。

========自動車の歴史(ネットから)↓

自動車は、18世紀に蒸気機関を用いた蒸気自動車として登場し、19世紀にはイギリスやフランスで都市間を移動するためのバスに用いられるようになっていた。19世紀後半、1870年代から1880年代にかけてはオーストリアやドイツでガソリンの内燃機関を用いた自動車の制作や特許取得が行われた。