日別アーカイブ: 2020年12月15日

「山林」について d

☆「山林」の話から(少しばかり)それますが、、

自分の「お袋さん」ですが、地元の仲間たちと集会?(寄合い)を 良く していましたねえ。自分は(まだ)幼児の頃でしたから、何をしてるのやらわかりませんでした。いつも菓子缶の箱の中に、お金が入っていました。それとか、上袋?常袋?(じょうぶくろ)の中にも お金が入っていました。

銀行が閉まった後(夜)は、F さんの家か、 I さんか(筆者の家ですが)・・・までなら、すぐ借りられる?などの話を子供ながら知っていました。良く存じませんが、「頼母子講」の胴元らしき立場だったんでしょう。(たったの)一回ですが、F さん宅へお邪魔した時、かなりの現金・・・そして(かなりの)「不渡り手形」・・枚くらい を見せてもらったことがあります。そのお家は「山」仕事関係(竹材)、我が家も「山林業」をしていましたから、いつでも「やまぎん=山 金」が要(あ)ったのですね。

親父さんは、夜は夜で地元の仲間と〇〇〇〇を良くしていました。こう言う環境で育ったわけで、正常な勤め人の姿ではありません。どうやれば云々、どうやれば〇〇が云々、おまけに食べ物の無いころ、ハンター(猟師)のボスでもありましたから、「イノシシ」「キジ=雉」&ヤマドリ などの「すき焼き」が頻繁に食べられましたました。キジのすき焼きは、ものすごく美味しかったですよ!☆今では「幻」のトリ肉ですね!ニワトリとは雲泥の差 10倍以上 旨さが抜群、、、。

Yamiの「砂糖」も頻繁にあって、甘みに困ることはありません戦前~戦後のどさくさ「Yami」アキナイでしょう。こんな話はもう時効です。兄弟姉妹が六人、それにお手伝いさんもおられたので、食べることは競争でした。いかに早く肉を口に入れるか!まあ、そんな時代を経験しています。(大爆笑)昭和23年~30年の頃です。

続く、、、