日別アーカイブ: 2014年9月25日

ピアノ搬入~調律  a

DSC00643 美祢市豊田前町麻生上のXYZ方から筆者の自宅まで(おおよそ)10キロあります。運送料は2万円弱、ピアノの重さは270㌔だそうで、コロの使えない場所では(数m行って休みながら)人力ですね。この道25年のベテランさん(前のほう)後方は新人のスタッフさんでした。重たいようですねえ! DSC00644 DSC00646   DSC00648

《独り言1》「仮性大動脈瘤」のステント内挿施術(人工血管挿入)の日取りが決定しました。昨日9時、「済生会下関病院」心臓血管外科に行きました。ここでは(このような)「術前検査」もほぼ予約制、当然、手術も予約制であります。10月7日入院そして8日が手術日ですね。(退院予定は術後1週間~10日間とのことです。)(昨日)またまた色々な検査がありました。尿検査~血液検査そして「胸部レントゲン」~「心電図」「肺活量」=生理検査 や「心臓エコー検査」=心臓機能検査 など、(待ち時間もあって)午前中いっぱいかかりました。手術を執刀される「伊東博史」医師の説明を受けました。今回の大動脈瘤生成の原因は「動脈硬化」によるものと断言されました。

《独り言2》MLB「ニューヨーク・ヤンキース」のイチロー選手の安打のニュースですが、(日米通算で)21年連続シーズン100本以上(大リーグでは、14年連続)まで、アト1本とリーチがかかりました。いわゆる王手ですね!今年は5番手(外野)からのスタートですから、打席数も(例年の)200以上少なく、おまけに(打順が)7番~8番辺りですから、当然と打席数が少なくなります。「シアトル・マリナーズ」の頃は、700打席に到達したこともありました。普通で650前後、安打の数も当然と200本になりました。(10年連続200本以上は、今後まず破れないでしょう!それと2004年の年間安打数262本の大リーグ記録は、(これまた)まず破れないでしょうね。)年齢が41歳にしては、年棒が高いので、2015年度(このまま)ヤンキースに留まるか?もしくは他球団に移籍するか?見ものですが、「ワシントン・ナショナルズ」=ナショナルリーグ:現在東地区1位  か、「ロサンゼルス・エンジェルス」=アメリカンリーグ現在西地区1位  あたりに移籍して、一番バッターで200本安打に挑戦してもらいたいものです。(あと159本で、大リーグ3000本安打に到達できますからね!)

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(ネットから参照しました)

今やイチローは、アメリカで最も有名な日本人の1人と言っても過言ではないだろう。そのスピードや強肩、グラブさばき、そして芸術品のような打撃技術で、日米の野球ファンをとりこにし続けている。 愛知県に生まれたイチローは、愛工大名電高を経て1992年にオリックスに入団。94年に「振り子打法」からヒットを量産し、プロ野球史上最多のシーズン210安打を達成。翌95年には阪神大震災に見舞われた神戸復興のシンボルとして活躍し、念願のリーグ優勝に貢献。96年には初めて日本一の美酒を味わい、オフの日米野球では、憧れのメジャーリーガーとの対戦を経験した。 イチローは2000年オフ、7年連続パ・リーグ首位打者の実績を引っさげ、ポスティング(入札)でメジャー移籍。2001年、日本人野手初のメジャーリーガーは、年間116勝の歴史的快進撃を見せたマリナーズの核弾頭としてア・リーグ首位打者と盗塁王、さらにリーグMVPと新人王と数々のタイトルを獲得した。また2004年には、前人未踏となるルーキーイヤーから4年連続の200安打を8月の時点で達成。さらに、ジョージ・シスラーの持っていた年間最多記録を84年ぶりに塗り替えるシーズン262安打をマークし、自身2度目の首位打者に輝いた。 2006年、初めてメジャーリーガーが本格参戦した国別対抗戦ワールドベースボールクラシック(WBC)で、イチローは名実ともに日本の大黒柱として活躍。出場した全試合でヒットを放って日本代表を引っ張り、世界一の立役者となった。そして2007年はオールスター史上初のランニングホームランを放って日本人初のMVPに選出。7月には2012年までマリナーズとの契約を延長した。 2008年は日米通算3000本安打、メジャー最長タイとなる8年連続200安打もクリア。2009年は、3月のWBC決勝戦でタイムリーを放ち、日本の連覇に貢献。シーズン突入後も3085本の日本最多安打、前人未踏の9年連続200安打、メジャー通算2000本安打と、さまざまな記録を立て続けにマークした。 2010年も、両リーグトップの214安打をマーク。史上最多に並ぶ10度目の200本安打を記録したイチロー。2011年はメジャーデビューから続いていたシーズン200安打が11年目にして途切れ、初めて打率も3割に届かなかったが、それでもア・リーグ9位の184安打を放って見せた。 そんなイチローに転機が訪れたのは2012年のこと。契約最終年だったこの年の7月、イチローは若返りでのチーム再建を目指すマリナーズの意向をくみ取って退団を決意し、常勝を義務付けられている名門ヤンキースへのトレードを受け入れた。実力にふさわしい強豪への移籍は、まさに水を得た魚。ヤンキース移籍後は3割以上の打率をマークしてチームに不可欠の戦力となり、オフには2年の契約延長を勝ち取ったのだった。そして2013年は日米通算4000本安打の大台に到達。将来の殿堂入りをほぼ手中に収めたが、その一方で出場機会は激減。シーズン終了後にチームが強力な外野手を補強したこともあり、2014年の起用は不透明。走攻守とメジャーレベルをキープし続けてはいるものの、メジャー14年目を迎える40歳の“レジェンド”は正念場を迎えている。