月別アーカイブ: 2014年9月

ピアノ搬入~調律  b

 

 

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《独り言1》昨日は、積み立て満期手続きの為、宇部市小野に参りました。宇部市と言っても、ここは元々「厚狭郡」ですね!美祢市や山口市の境界に位置する山の中です。(小野湖で有名)以前はここを通って宇部市や旧:吉敷郡阿知須町など行ったものです。ここから小野田市まで行ったのですが、かなりの距離でした。まあ、端から端ですね!小野田市は「山陽小野田市民病院」整形外科に行ったのです。予約無しですから軽く1時間は待ちました。ちょうど一週間前の木曜日(18日)に水を抜いた(関節液)のですが、今回はその半分の量でした。3週間後に予約を入れましたが、「大動脈瘤」の入院明けですから、果たしてどうなるか?この「変形性ひざ関節症」なるものは、治療して治るものではない!と断言されました。一つは体重を落とすこと。二つ目はヒザの上部分の筋肉をつける!どちらも難問であります。痛いときは「ロキソニン錠60mg」を服用、一応もらいましたが、、前回と同じく関節に注射です。(コンドロイチン系)相変わらず女性が8割でした。

《独り言2》19時から「川棚公民館2F」で、呼夢奏グループの一斉練習がありました。ミニバイクに乗って、「殿居」地区から「ムクロウジ」に入りました。ここはサイクルマラソン(10月5日)のコースでもありますから、ゴミ拾いをしながら川棚まで走りました。(成果は2袋)(尺八の)生徒の皆さんですが、どうしたわけか?急激に上達しておりました。何でも「特訓」?をしたとか?(何人か)ピアノの伴奏も入って(ちえこさん)音楽らしくなりました。筆者はひざも痛く入院前なので「ピアノ」を一応遠慮しました。生徒さんが(一通り)終わって、(結局)演奏することになりました。まあ、かなり深夜まで練習を重ねていますから、少しは(精神的~肉体的に)落ち込んでいても、ほぼ99%間違えることなく?無難に「ヘイ・ジュード」をルバート演奏?しましたよ!Hetaなアルペジオやフェルマータも出来て、(皆さんから)スタンディング・オベーションを受ける始末、ちょっと驚きました。自分では巧く弾けたと思わなかったのですが、ゆっくり(静かに)弾いたのが良かったかも?どれだけ曲の持ち味を出せるか!心をこめて演奏できるか!まあ、そんなところでしょう。

ピアノ搬入~調律  a

DSC00643 美祢市豊田前町麻生上のXYZ方から筆者の自宅まで(おおよそ)10キロあります。運送料は2万円弱、ピアノの重さは270㌔だそうで、コロの使えない場所では(数m行って休みながら)人力ですね。この道25年のベテランさん(前のほう)後方は新人のスタッフさんでした。重たいようですねえ! DSC00644 DSC00646   DSC00648

《独り言1》「仮性大動脈瘤」のステント内挿施術(人工血管挿入)の日取りが決定しました。昨日9時、「済生会下関病院」心臓血管外科に行きました。ここでは(このような)「術前検査」もほぼ予約制、当然、手術も予約制であります。10月7日入院そして8日が手術日ですね。(退院予定は術後1週間~10日間とのことです。)(昨日)またまた色々な検査がありました。尿検査~血液検査そして「胸部レントゲン」~「心電図」「肺活量」=生理検査 や「心臓エコー検査」=心臓機能検査 など、(待ち時間もあって)午前中いっぱいかかりました。手術を執刀される「伊東博史」医師の説明を受けました。今回の大動脈瘤生成の原因は「動脈硬化」によるものと断言されました。

《独り言2》MLB「ニューヨーク・ヤンキース」のイチロー選手の安打のニュースですが、(日米通算で)21年連続シーズン100本以上(大リーグでは、14年連続)まで、アト1本とリーチがかかりました。いわゆる王手ですね!今年は5番手(外野)からのスタートですから、打席数も(例年の)200以上少なく、おまけに(打順が)7番~8番辺りですから、当然と打席数が少なくなります。「シアトル・マリナーズ」の頃は、700打席に到達したこともありました。普通で650前後、安打の数も当然と200本になりました。(10年連続200本以上は、今後まず破れないでしょう!それと2004年の年間安打数262本の大リーグ記録は、(これまた)まず破れないでしょうね。)年齢が41歳にしては、年棒が高いので、2015年度(このまま)ヤンキースに留まるか?もしくは他球団に移籍するか?見ものですが、「ワシントン・ナショナルズ」=ナショナルリーグ:現在東地区1位  か、「ロサンゼルス・エンジェルス」=アメリカンリーグ現在西地区1位  あたりに移籍して、一番バッターで200本安打に挑戦してもらいたいものです。(あと159本で、大リーグ3000本安打に到達できますからね!)

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(ネットから参照しました)

今やイチローは、アメリカで最も有名な日本人の1人と言っても過言ではないだろう。そのスピードや強肩、グラブさばき、そして芸術品のような打撃技術で、日米の野球ファンをとりこにし続けている。 愛知県に生まれたイチローは、愛工大名電高を経て1992年にオリックスに入団。94年に「振り子打法」からヒットを量産し、プロ野球史上最多のシーズン210安打を達成。翌95年には阪神大震災に見舞われた神戸復興のシンボルとして活躍し、念願のリーグ優勝に貢献。96年には初めて日本一の美酒を味わい、オフの日米野球では、憧れのメジャーリーガーとの対戦を経験した。 イチローは2000年オフ、7年連続パ・リーグ首位打者の実績を引っさげ、ポスティング(入札)でメジャー移籍。2001年、日本人野手初のメジャーリーガーは、年間116勝の歴史的快進撃を見せたマリナーズの核弾頭としてア・リーグ首位打者と盗塁王、さらにリーグMVPと新人王と数々のタイトルを獲得した。また2004年には、前人未踏となるルーキーイヤーから4年連続の200安打を8月の時点で達成。さらに、ジョージ・シスラーの持っていた年間最多記録を84年ぶりに塗り替えるシーズン262安打をマークし、自身2度目の首位打者に輝いた。 2006年、初めてメジャーリーガーが本格参戦した国別対抗戦ワールドベースボールクラシック(WBC)で、イチローは名実ともに日本の大黒柱として活躍。出場した全試合でヒットを放って日本代表を引っ張り、世界一の立役者となった。そして2007年はオールスター史上初のランニングホームランを放って日本人初のMVPに選出。7月には2012年までマリナーズとの契約を延長した。 2008年は日米通算3000本安打、メジャー最長タイとなる8年連続200安打もクリア。2009年は、3月のWBC決勝戦でタイムリーを放ち、日本の連覇に貢献。シーズン突入後も3085本の日本最多安打、前人未踏の9年連続200安打、メジャー通算2000本安打と、さまざまな記録を立て続けにマークした。 2010年も、両リーグトップの214安打をマーク。史上最多に並ぶ10度目の200本安打を記録したイチロー。2011年はメジャーデビューから続いていたシーズン200安打が11年目にして途切れ、初めて打率も3割に届かなかったが、それでもア・リーグ9位の184安打を放って見せた。 そんなイチローに転機が訪れたのは2012年のこと。契約最終年だったこの年の7月、イチローは若返りでのチーム再建を目指すマリナーズの意向をくみ取って退団を決意し、常勝を義務付けられている名門ヤンキースへのトレードを受け入れた。実力にふさわしい強豪への移籍は、まさに水を得た魚。ヤンキース移籍後は3割以上の打率をマークしてチームに不可欠の戦力となり、オフには2年の契約延長を勝ち取ったのだった。そして2013年は日米通算4000本安打の大台に到達。将来の殿堂入りをほぼ手中に収めたが、その一方で出場機会は激減。シーズン終了後にチームが強力な外野手を補強したこともあり、2014年の起用は不透明。走攻守とメジャーレベルをキープし続けてはいるものの、メジャー14年目を迎える40歳の“レジェンド”は正念場を迎えている。