日別アーカイブ: 2014年12月12日

うどんの庄 住吉 (小野田市)

 

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《独り言》昔話を ‘しだす’=仕出す(始める)と先(命=いのち)が短い!と言われますが、1952年(昭和27年)の「江利チエミ」の「テネシーワルツ」を(ネットで調べたり~聞いているうちに→現在ピアノでハマッています)この頃存在した「木炭自動車」→燃料が木炭や薪の5トンクラスのトラック のサイトに触れました。昭和の27年ころですね!当時、我が家の家業は「材木業」でした。山で原木を切り、「土引き」=どびき 「馬ゾリ」や「人間ゾリ」=勾配を利用  で 積み込む現場まで出し、トラックで市場まで運ぶのです。記憶の中に(この)「木炭トラック」が我が家(当時としては一応「有限会社伊藤商事」と言う会社で、常時スタッフは10数名居たようです。切り子に土引きは別)に存在していたのであります。筆者は小学校に上がったばかり、それでも記憶は確かですね。

・早朝、トラックを動かすのに運転手などのおっさん達が、まず、釜(ボイラー)の中の「灰」をかき出して、木炭を袋一杯入れて火をつけ動かしていた!などを記憶しているのです。何でも、原木以外の「薪」なども、彦島の造船所まで運んでいたようで、「薪」も燃やして?動いていたようです。このトラックは、そもそもがガソリン車なんでしょうが、燃料のガソリンが手に入りにくくなって、この当時「木炭自動車」「木炭バス」などが主流だったようです。何せ!(この自動車)力が弱くて、ふうふう~ノロノロの様子、菊川町の田部峠を越えるのがやっと!そんな記憶があります。(筆者は)小さいながら良く仕事にお邪魔虫をしていたようで、山の中にも ‘ついて’ 行った記憶もあります(親父さんが連れて行った!)。まあ、将来は山仕事が自分の仕事!と信じ切っておりましたから、思い出しても、実に懐かしい「木炭自動車」の話です。

<木炭自動車の燃料源は「木炭ガス」であり、燃やすと言う表現は誤解を招きます。早い話が「蒸し焼き」のような感じでしょう。木炭から「一酸化炭素ガス」を取り出して、(水をかけて)水蒸気から水素ガスも抽出して混合させるとjか! 鉄道の方は「蒸気機関車」ですから、まともに燃やす!ことはご存知のとおりです。>

・地元には「長門鉄道」と言う、まともな鉄道路線もありました(私鉄、18・2㌔)。乗車したことは数度ありますが、何でも菊川町辺りの急坂にかかると、乗客全員で押した!と言う話を聞いたことがありますが、当時としては「石炭」も希少価値で「木炭」や「薪」などで動いていたのでしょうか?そこの所は存じませんが、単線で狭軌の鉄道であります。現在の「梨の選果場」が「西市駅」で阿座上~石町~西中山そして込堂~岡枝~田部と繋がって最終「小月駅」までの路線です(11駅)。客車は一両で木材~竹材や客車混合列車でしょう。記念写真も立派なのが現存しており。懐かしい物語であります。(筆者)昭和の25年~30年あたりの記憶ですね!(写真資料によると、C231と言う中型:蒸気機関車でした 同時に、ガソリンカーもあったようです。大正7年スタート~昭和31年運行廃止)