日別アーカイブ: 2014年12月25日

神功皇后神社=じんぐうこうごうじんじゃ(美祢市西厚保町) a

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★神社の格付けについて調べてみました。(ネットより)現在では(制度は)無いようですが、、↓

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社格制度とは耳慣れない言葉だが、簡単にいえば神社の“格付け”。今でこそ神社本庁の下、「規模の大小はあっても、すべての神社は平等」ということになっているが、第2次世界大戦が終わった60余年前まで、神社の世界には「社格」という名のランク付けがあった。神社にお参りに行くと、神社名の横に「旧官幣大社」「旧国幣小社」などと表示してあるのを見たことがあるだろう。これが戦前の社格。
今日「近代社格制度」と呼び習わされる社格ができたのは、1871(明治4)年。政府が国内すべての神社を対象に、大きく官社(官幣社と国幣社)、諸社(府県社と郷社と村社)、無格社に等級分けした。上位の官社のなかでも官幣社は国幣社より格上とされ、表の官幣大社を頂点とするヒエラルキーが形成された。ただし、皇室の祖神・天照大神を祀る伊勢の神宮だけは「別格」として、社格の枠外に据えられた。

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《独り言》昨日の午後、「宮崎義敬」宮司が来町されました。(スナック舞にて)参加者 宮崎義敬 後山邦秋 藤本貴司 ド田舎会長 の4名です。(敬称略)15時から16時40分まで、様々な話題で賑わいました。こちらからも質問を用意しており、ほとんどの事例について、的確に信念をお聞きすることが出来ました。予定通り「テネシーワルツ」を演奏し大変喜んで頂きました。話題があちらこちらに飛び火して、整理がつきませんが、その中でも色々な事象を教えていただきました。

★阿川の『ほうせんぐり』について  ほうせんぐり は、阿川海水浴場の浜辺にある「岩」のことですが、そもそも海の中にあったものが、砂で埋もれてしまったようです。ほうせんぐり→放生岩=ほうじょうぐり がなまったものだそうです。岩=石=ぐり と言いますね!放生会(ほうじょうえ)は博多の「筥崎宮」で有名ですね。お供えなど、生きたものへの法要でしょう。=殺生を戒める宗教儀式

_______ネットより(宮崎義敬さんの、紹介サイトを見つけました)

私の本棚に6年余り前から在る本を、何故か今日、手にとって開いてみました。「藍場川」というタイトルで、著者は長府忌宮神社の宮司を務められた事の有る「宮崎義敬」さんです。なんと、開いたそのページの文字に、私の小さな目がパット開いた・・・様な気がしました。目に入ってきた文字というのは「ほうせんぐり」だったのです。

上の写真は本の中のもので、昭和40年頃「梅田昇氏」撮影と有ります。この本「藍場川」は亡き義兄の形見分けで、謹呈○○様 宮崎義敬とサインが有ります。
写真はモノクロ写真との比較のためのものです。山容は今とほぼ同じです。写真中央の大きな屋根の建物も健在です。

本の中身を少しかいつまんで、ご紹介しておきます。波打ち際から12~3メートルのところに「ほうせんぐり」と呼ばれる畳二畳敷きくらいのまるい岩があって、それは子供達の水遊びには格好の場所だった。岩の割れ目には蜷やヤドカリ、海ほおずき等が沢山いた。磯に行っても、まだ潜ったり出来ない年頃には安心して遊べる「ほうせんぐり」であった。

その「ほうせんぐり」が無くなろうとは、思っても見ない事だ。ある日故郷の砂浜を歩いている時に躓いた小さな岩が「ほうせんぐり」と言われてびっくりした。また、この岩の少し沖合いに「あかめがぐり」と言う瀬が有ったが、その瀬まで砂を被っていると聞いて、私は海が死んでいくような気がした。

遠浅の入り江を半分塞ぐようなかたちにつくられたその波止は、潮の流れを一変させたた。一文字波止を築いた計画の杜撰さを資料的に追究して見たい気がしたが、こんな事になろうとは予想も出来ずに賛成した地元の人たちのやるせなさを思って控える事にした。自然に対する敬虔さを失い、自然の法則さえ軽んずるほどの人智の驕りを感じさせる。  まったく同感です。

「ほうせんぐり」が砂に埋もれて、生けるものなら窒息してしまいそうな砂の中から、せめて頭だけでも出させて、心地よい潮風に当たらせてやりたい・・・・との言葉も有り、宮崎氏の心の優しさが感じられます。