月別アーカイブ: 2014年12月

「すし遊学」 宇部:厚南店

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《独り言1》年賀状の投函期限(元旦に配達確約)を半日過ぎた昨日の26日正午、(遂に)全ての賀状を「郵便局」に提出しました。何と!何と!書損になった枚数は47枚にもなりました。弊社のお客様は(大きく分類すると)、①自動車売買 ②車検整備 ③損害保険(自動車任意~火災保険~その他) ④生命保険(第一分野~第三分野)に分かれます。さらに、それらの営業担当者が、①若社長 ②会長(筆者) ③生保担当(ミツエ) ④営業社員や工場関連 こんな調子です。

・パソコン端末に「筆王」ソフトを入れて、管理はしていますが、日ごろから小マメにしておれば慌てることも無いのでしょう。何せ!数日で一年分をチェックするのですから、大騒動になります。賀状の総数は ‘1300枚’ 前後でしょうか?担当が異なると(諸々)判りませんねえ!新規登録は勿論のこと ①住所の変更  ②結婚による改姓~離婚によるもの~家族(子供など)の別居など  ③本人や家族の死亡  ④単純なダブりミス 大きくはこんな調子ですね。一つの端末で管理すると、ミス訂正が完璧に出来ませんので、次年度はもう少し要領よくチェック出来るよう改善しなくては、、、、時代の経過と共に、お客様の層もガラリと違って来ます。宛名を見ても知らない人も多くて、特に「自動車売買」~「自動車任意保険」「生命保険」のお客様の動向は、(もう)筆者では手に負えません。申し出があればともかくも、わからない場合が結構多いですね。

《独り言2》昨晩は(18時から)「会社の忘年会」でした。筆者は早々に引き上げて会社に帰ってきました。実は会場の「スナック:華豊」=藤井晋二:代表 までの(僅か)500㍍を歩いて出かけたのですが、直りかけたような?右膝が(急に又)痛くなりました。数日前に20CCの関節液を抜いて貰って、それまでとは異なる注射液が注入されました。ここ数日間は(痛みも減少し)凄く良かった?のですが、(そもそも)根本的には直るハズがありません。やけどをしてまで始めた「にんにく灸」が効いたかな?と思いきや、違いましたね。今は(ひたすら)“ためしてガッテン”方式(足をゆっくり滑らす~膝頭の皿を強く動かす)に専念しています。今は「やけど」が治らず、??しています。もう「丸焼き」にするしか!方法が無いのかも?

神功皇后神社=じんぐうこうごうじんじゃ(美祢市西厚保町) b

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★ 神功皇后神社(じんぐうこうごうじんじゃ)
祭神 (主祭神)息長帯姫命 足仲彦尊 誉田別命 大鷦鷯命 住吉仲皇子
由緒沿革
室町時代の応永三十二年(1425)、豊浦郷(現下関市)忌宮神社より勧請。永享二年(1430)、源義秀が社領を寄進する。
宝徳二年(1450)、天文十一年(1542)、安土桃山時代の天正十三年(1585)、修築をする。
当地の地名は、往昔は集村(あつめむら)と称し、転じて厚保(あつ)村となる。神功皇后が三韓出兵の際、この地にて兵を集め、また万一に備えて壕を掘り、堅固な守備施設を設けたという伝承がある。 忌宮より勧請以前に、当地に八幡宮を祀っていたが、皇后の偉徳を仰慕して神功皇后神社と称する。明治六年(1873)郷社に列する。(ネットより)

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★忌宮神社は、城下町長府の中央部に位置し、仲哀天皇が西国平定のためこの地に豊浦宮を設けられた跡といわれ、現在の神域がほぼ長門国庁の所在地に推定されています。祭神は、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇が祀られています。正面参道を進んでいくと、仲哀天皇が熊襲との戦いで、天皇が倒した首領の首をここに埋めたとされる鬼石があります。祭礼では、毎年8月7日~13日にかけて鬼石の周りを踊りまわる幟舞、一般には数方庭が奇祭として有名です。(ネットより)

 

★神道政治連盟(略称・神政連)は、世界に誇る日本の文化・ 伝統を後世に正しく伝えることを目的に、昭和44年に結成された団体です。 戦後の日本は、経済発展によって物質的には豊かになりましたが、 その反面、精神的な価値よりも金銭的な価値が優先される風潮や、 思い遣りやいたわりの心を欠く個人主義的な傾向が強まり、 今日では多くの問題を抱えるようになりました。 神政連は、日本らしさ、日本人らしさが 忘れられつつある今の時代に、 戦後おろそかにされてきた精神的な価値の大切さを訴え、 私たちが生まれたこの国に自信と誇りを取り戻すために、 さまざまな国民運動に取り組んでいます。(ネットより)

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《独り言》 筆者は、「神社」や「お宮」のことについては、ほとんど素人です。正確を記す為には、ネットからの転載の方が、正確だと思います。敢えて、載せています。ご容赦下さい。「宮崎義敬」さんと話をしていますと、思想とか心情とか超越して、同じ「豊浦郡」で生を受けた者として、妙な一体感を感じますね。会話の中には、政治や宗教の話は(それほど)出ませんねえ!それこそ、(阿川での)少年時代のこと、両親のこと(故郷のこと)、学生時代のこと(貧乏学生時代=國學院大學)などなど、抱腹絶頂?では失礼ですが、懇談していますと、(毎回)時間が経つのを忘れます。「後山邦秋」師匠のご縁で、会話の中に入ることが出来ました。ご高齢なので心配ですが、チャンスがあれば、何度でもお話を聞きたいと思っています