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「児玉進矢」さんからのコメントです。その⑭

「児玉進矢」さんからのコメントをお送りしています。2021年4月4日ぶん

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前回は会長との初対面の思い出を書き連ねましたが、今回はそれ以前の新人時代に東京で働いていた頃の山口にまつわる思い出を少し。山口県読者の方、お時間有ればお付き合い下さい。5分で読めますよ。

当時私は徳山コンビナートにあるお客さんの工場に出張しました。代理店さんと一緒です。昭和60年はまだ年配のサラリーマンは夜行列車を使う人もいた時代で、同行の方のリクエストで私も寝台列車に乗ることにしました。その日は東京駅を19時に発車する列車(確か「あさかぜ」だったと思います)に代理店さんと乗り合わせる予定でしたが、仕事が終わらず乗り遅れてしまいました。会社が東京駅の真ん前なので一旦戻り時刻表で調べると、21時の新幹線に乗れば名古屋駅であさかぜを捕まえられることを発見し、また小一時間仕事してから新幹線に乗り無事に名古屋で合流できました。何だか松本清張の推理小説に出てくる犯人がアリバイ作りしているような気分でした。
生まれて初めて乗る寝台列車、カーテンのついた2段ベッドが対面していて4人一部屋のような感じです。ビール飲んで寝ようとしましたが、列車の振動、誰かのいびき、どこからか聞こえる会話などでほとんど寝られないまま岡山あたりで夜が明けました。眠るのを諦めて窓から眺めた瀬戸内海(これも生まれて初めて見た)が朝陽に照らされてキラキラと美しかったのを覚えています。思わず小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」の歌詞が頭の中を流れていきました。そうして早朝徳山駅に到着し、駅前の喫茶店でモーニングを食べて工場に入りましたが、その日はほとんど仕事になりませんでした。

その時の印象なんですが、工場にも東京海上の徳山支社にも、街の繁華街にも美人が多く、さすが大大名の毛利家のお膝下だなあと感じましたが、その思いは後に山口支店に転勤となりそこの女性社員や豊前田のママさんたち、さらには西市でミツエさんにお会いして仮説が確信に変わりました。まあ、この話は深入りせず、今回はこの辺で失礼します。

↑「児玉進矢」さんからのコメントでした。