日別アーカイブ: 2022年8月24日

「矢野公皓」さんからのコメントです。その➀

「矢野公皓」さんからのコメントです。
   2021年2月15日ぶん

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タイ国「泰緬鉄道」で「カンチャナブリ」一度行きました。ツアーの観光バスで行くのが普通らしいですが、普通列車で行ったところ運賃は300円くらいでしたが、扇風機の付いた暑い車両で3時間以上かかった覚えがあります。映画『戦場にかける橋』を想像していましたが、普通の鉄橋(に見えた)ので感慨が薄れましたが、その先の川沿いの崖っぷちに造られた路線の風景は圧巻でした。帰りに「イースタン・オリエント急行」という超豪華列車が来ていました。また、路線バスに乗ったらエアコンはないし、更に時間がかかりました(旅行ガイドには路線バスはオススメしないと出ていました)。若い女性が路上でヒールを脱いで跪いて(ひざまずいて)僧侶に施しをするのを何度か見て感心しましたが、朝夕の大渋滞には閉口しました。その赤い大地が印象的でした。

↑「矢野公皓」さんからのコメントです。

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↓筆者 転載 記事
【日刊スポーツ 只松憲記者】

物語は1通の手紙から始まった。
「給料はいりませんから、野球の指導をさせてください」。それは下関国際の校長室にある日、突然届いた。差出人は「坂原秀尚」。「こんな人がいるのか?」。当時校長で現理事長の武田種雄氏(73)は言った。前代未聞の展開で、下関国際野球部の歴史は動いた。
 坂原氏は広島国際学院高-広島国際学院大を経て、社会人ワイテックで5年間プレー。その後は下関市にある東亜大で教員免許の取得を目指した。その東亜大の近くにある高校が下関国際だった。当時、グラウンドには雑草が繁茂して、道具も散乱していた。部員も数えるほどで、まともな練習はしていなかった。不祥事で監督も不在。見かねた坂原氏が立て直しを志願した。
 手紙を出した時、坂原氏はまだ教員免許がなかった。学校側も教員として採用はできない。それでも武田校長は熱意を買った。校務技師や付属幼稚園のバスの運転手を頼み、“アルバイト”をしながら野球部の指導を依頼した。そして05年8月に正式に監督へ就任。拾ってくれた武田校長に、坂原監督は何度も頭を下げた。
 鬼軍曹となり、徹底的に部員を鍛えた。「弱者が強者に勝つ」。無名選手だった現役時代からの座右の銘を胸に、学校や武田校長への恩返しを誓っていた。
ある日、私立の強豪校から監督就任の依頼があった。待遇は当時の給料の2倍だった。何度も口説かれたが、武田校長の前で釈然と断った。「武田先生や子供たちを甲子園に連れていく。だから行きません」。
 だから苦難を乗り越えてきた。無名の弱小校と冷やかされる日々。お金もなかった。地域の餅つき大会に部員と参加してはお金を稼ぎ、遠征費やスピードガンの購入にあてた。
辞めていく部員には、朝迎えにいって引き留めた。「3年間やることの大切さを感じてほしい」。猛吹雪の中、一緒にランニングに付き合う冬を何度も過ごしてきた。武田理事長は「うそ偽りは1つもない。本当に映画のような物語なんです」と言う。
 かつては部員1人、荒れたグラウンド、不祥事での大会出場辞退の時代もあった。坂原監督はその全てを作り変え、17年をかけて全国2位まで育てた。
「苦労人」という言葉だけで片づけられない。それが坂原秀尚という男だ。

↑転載記事です。

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↓「緊急 掲載」いたします 2022年8月23日 17時35分 

後山邦秋
2022年8月23日 5:13 PM

熱闘甲子園の熱いドラマも幕を閉じ、本日午後「下関国際高校」(無事)凱旋したようです。
選手諸君の素晴らしい健闘は勿論の事、坂原秀尚監督に関する様々なエピソードがマスコミを賑わせています。(自分は)個人的に 監督のご両親と数10年来のお付き合いがあり、坂原秀尚監督とも 子供の頃から知っている関係で、喜びもひとしおです。昨日ご両親にメール送りましたが、
“ 最後まで応援して下さって有り難うございます、、、優勝は次の目標になると思います ” 
との返信を頂きました。更なる目標に向かい力強く歩んで欲しい!~と 思います。坂原秀尚監督の生きざまは、間違いなく長州の血潮を感じますねぇ!

今、過去のコメントを(諸々)載せて頂いていますが、あの(有名な)高倉健さんですが 東映ニューフェィスとして俳優人生をスタートしましたね。(彼は当初から)芸事の素養が全くなく 養成所の先生から 君!この仕事は諦めた方がいい~~、と 早々に俳優失格宣言を受けていたようで、当初は決して順風満帆とは言い難い辛く、苦しい日々を送った事など 余り知られていない真実かも知れません。
しかし、(健さんは)負けるもんかと!歯を食い縛り 感性を磨きながら 58年の俳優人生を、背筋を伸ばし生き続けてきた証(あかし)、それこそが「男の生きざま美学」じゃないかと思うんです。
(同じく)坂原秀尚監督も、歯を食い縛り成し遂げたこの度の甲子園準優勝ドラマの連続、そして何よりも生徒諸君に対する愛の数々。健さんは、愛という言葉が一番好きでした。
人は愛が無くなった時、無関心になります。ユーザーの皆々様方、ご自身を振り返って見てください!そこに、愛はありますか!?~~

↑「後山邦秋」さんから頂戴しました。