世良修蔵」カテゴリーアーカイブ

毎日 暑くて たまりませんね!(ブログ 再開?)

「ド田舎会長」ブログをご愛読の皆々様、ほぼ一年間お休みしておりました。様々な(その)理由がありました。その第一は、左肩を痛めたことでした。(詳しくはご想像にお任せします)第二には、ケイタイ パソコンが不調の極みになったことです。第三に(年齢と共に)ブログ億劫になった為です。(すべて苦笑!)

各方面の方々から、何時になったら再開するの?日増しに多くなって来ました。この一年間、様々な体験をしました。お伝えしたいことは、たくさん~~あります。あんまり negative なことはコメントしたくありませんが、まあ、マイペースでボチボチでも続けようかな?と思っています。

そうですねえ、本日を起点にして振り返ると、

○「錦織圭」選手のワシントン(シティ)テニス(GAORA)絶好調!3回戦突破しました
○MLBのエンゼルスの「大谷翔平」選手の打撃低調ぶり(8月2日現在)&ヤンキースの「田中将大」投手応援 9勝目!
○将棋「藤井聡太」七段の快進撃(AbemaTV無料) 85勝15敗
○「フロンティア倶楽部」(ロイトン札幌)西日本豪雨災害により 中止!
○東京での「東京海上日動火災」山口&下関OB~OG有志10名との懇親会(「響」品川店)
○東京海上日動火災(本社24F)「隅修三」会長と(思いかけず)再会せり(山口県人)
○ゴルフ「松山英樹」選手の(全英オープン)予選落ち、
○テレビ「SEGOどん」追っかけ、
○維新150年=戊辰150年 世良修蔵:惨殺(長州藩士ー奥羽鎮撫総督府下参謀) 法要参加(蔵王白石「陣馬山」墓所~福島市「長楽寺」~町田市 傍系子孫(矢野公哠宅 宿泊)
○西南学院 硬式庭球部 有志15名による懇親会(福岡市)
○ライフワーク(町中の)ゴミ退治は三か月毎に50~100袋ペースで続けています(下関土木豊田分室 提出)
○5年目に入った「らっきょう」漬け、おおよそ150キロ完成(進呈はほぼ終了)
○美食?三昧? 「てるてる寿司」「ベルベルソル」「一二三食堂」「スシロー」「ガスト」「JOYFULL」「バイキングビレッジ北長門」「道の駅 豊北」
○健康食品 「セサミンEX」「にんにくしじみ」「鮫珠」の大フアン

まあ、こんな按配でしょうか!ボチボチやりますよ。

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「豊田のホタル祭り」 スナップ f 

★ホタル祭りの、後半の模様をお送りしています。↓ 恵本泉支店長(山口銀行西市支店)の奮闘ぶりです。地元「商工会婦人部」の‘焼きそば’担当であります。歴代支店長は「焼きそば」担当らしいですね。詳しい経緯は存じませんが、、、。

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《独り言》「世良修蔵」の傍系子孫、矢野徳夫さんの「エピソード」をお送りしています。栗栽培の話題ですが、矢野さんの「栗」は、他の農園よりはるかに大きく、出荷先(JA厚保=アツ)の中でも、際立って高品質~高価格で取引されていた!とのことです。りんごや梨などは、当然 ‘てっか’=摘花 しますが、栗でこの作業をする方は稀だそうです。言わば、間引きですね。真ん中の一番強い花(良いもの)を数本残してあとは摘みとるのです。当時、筆者も頂戴しましたが、通常の倍くらいの大きさでした。色々な野菜も栽培しておられたようですが、そのほうは良く存じません。東京に移られる直前は、「酵素」=こうそ に関心が強くて、研究熱心でありました。いわゆる学者タイプでしょうか!何でもトコトン極める、人でした。

・国道バイパスに(まともに)ひかかって、用地買収の交渉が始まりました。ご本人も既に亡くなっておられますし、単なるエピソードなんですが、ご本人は立ち退く気は全くなかったのです。何せ!予定の国道のド真ん中ですから、県としても後には引けなかった!という処でしょうか? 筆者が聞いた時は、大まかな用地買収の要求金額まで、出ておりましたねえ。何と!梨から始まり、野菜、栗、シキミ(樒)の売り上げ記録(市場に出荷)その詳細な売り上げ台帳があったのです(過去全て)。その当時、80歳前後、自分は110歳まで生きるから、それまでの売り上げ補償を(金額として)要求されたのですね。

・さすが、(元)銀行マン、その金額提示は?????なんですね!。過去の売り上げ台帳がありますから、用地買収の担当者(実は筆者の、高校の後輩でした(下関西高校) 土地と建物の実勢価値で行けば、???にも満たないでしょう。その交渉のまとめ役(妥当な?買収金額)をしたのが、ド田舎会長なんです。ばっさり????取り下げて、?????にて交渉が成立したのです。これにはビックリ仰天。(バイパスは未だ完成しておりません。)これがことの真相であります。??の土地(100坪)??の豪邸(敷地50坪)残りの土地は、相続税対策にと、伺ったことがあります。たかが「農林産物の代金」、始めてから詳細に記録、それが結果として、常識では考えられないような財産に代わるとは、、なまじの頭脳ではありませんね。筆者は東京での住居新築には(当時)反対を致しました。お隣の菊川町あたりが良いのでは、、、そのようにはなりませんでしたが、結果、数年後にお亡くなりになられました。自然の中で自然とともに、そのまま暮らしておれば、(あの勢いですから)軽くもう10年は現役でやれたでしょう。筆者には権限もなく、これは結果論でしかありません。

・東京の町田市での生活は、50坪の空き地が唯一の楽しみだったと思います。温室の中には、大好きな「エビネ蘭」を育て、庭先には野鳥が飛んでくるように、餌場が作ってありました。一度泊まりに行きましたが、橋本駅周辺は、ここ豊田町とは、雲泥の差がありました。ここで暮らすのは厳しいな?と筆者は思いました。ご子息の仕事の関係で仕方のない事でしょう。地下足袋を履いて、腰に剪定ばさみ、上下作業服、全てが自然の中の出で立ちでした。あらゆる(自然との対話~共存など)話題の中に筆者は夢中になりました。(筆者の)現在の「ゴミが喜ぶ」~「ゴミとの対話」も、矢野徳夫さんからの影響でありましょう。