世良修蔵」カテゴリーアーカイブ

四年前(2018年8月)のブログが面白い! その④

「世良修蔵」 (多くの「応援コメント」に、感謝!感謝!)
  2018年8月8日ぶん

ド田舎会長ブログを再開して、(今のところ)何とか?順調に推移しています。全国各地の有志の方々から、ありがたいコメントをたくさん頂戴しています。やる気が起きますね。

色々なことが走馬灯の如く駆け巡ります。この4月頃から一番の関心ごとは「世良修蔵」没後150年の法要に出席したことでしょう(福島市 長楽寺)。1868年4月20日(閏)長州藩士(新政府軍)「世良修蔵」は、福島北町の金澤屋(旅篭=商人定宿)で襲われ、阿武隈川の支流(寿川)で斬首されました。筆者地元「豊田町」の「楢原」地区に「世良修蔵」の傍系子孫である「矢野徳夫」(やのよしお)さんと(筆者が)懇意にしていた関係で、没後150年法要に参列したのです。

今年は明治維新(戊辰戦争勃発)から150年(1868年)で、(それぞれ各地で)様々な行事が開催されています。問題はこの「維新」と言う文言ですが、東北では「戊辰」(ぼしん)と言われており、その違いがはっきり判ります。詳しくはネットでみていただくとして、(筆者は)この「没後150年」法要に参列したのです(福島市 長楽寺)。
実は「ド田舎会長」ブログの中に「世良修蔵」の記述があるわけですが、そのブログ記事に到達された「宮城県白石市」の「田切誠人」さん(40歳代)から法要の開催の知らせがあったのです。(参列のお勧めでした)

法要のあくる日の4月21日、「福島民友」「河北新報」「朝日新聞」(地方版)には、法要の記事が掲載されています(筆者は記者数名に囲み取材を受けたもの)
合掌のスナップあり→朝日新聞。一般的な感想として、敵地(奥羽)にも関わらず、立派な墓所があり(白石市 陣馬山)~(福島 稲荷神社)さらに150年経過した今日にもかかわらず(敵軍指揮官の)「没後150年法要」が営まれたことに対して、とても驚いた!と申し上げました。
萩(毛利)と福島(会津)との確執、「新政府軍」と「奥羽列藩同盟軍」との(それぞれの)「正義」「大義」の違い、今なお収まることの無いわだかまりを感じました。この「世良修蔵」の惨殺、さらには「奥羽列藩同盟」結成などがきっかけで、戊辰戦争が拡大した!と言われています。

★戊辰戦争 鳥羽伏見の戦い→ 会津戦争~~ 函館戦争(五稜郭の戦い)で終結

○外国に立ち向かう新政府を作る!→(新政府軍=薩摩藩 長州藩 芸州藩 他)
○幕藩体制下の武家社会の尊厳!→(奥羽諸藩=仙台藩 会津藩 庄内藩 他)
この大きな「食い違い」が、戊辰戦争を肥大化し(双方とも無駄な)多くの戦死者を出し悲劇の結末となったのです。(後日)続きを解説しましょう。

★「ド田舎会長」ブログ内の検索「世良修蔵」も面白いです!「奥羽鎮撫総督府 下参謀」=実質の指揮官=新政府軍の隊長
ブログ「アーカイブ」の一番下、2013年06月をクリックされますと、世良修蔵~傍系子孫の「矢野徳夫=やのよしお」さんの記事を見ることが出来ます。6月
30日~6月20まで下る 5回記載

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 ↓ 緊急 転載   将棋「藤井聡太」王位戦タイトル防衛!(2022年9月6日)↓

 将棋の藤井聡太王位(竜王、叡王、王将、棋聖、20)が、9月5、6日に行われた第63期お~いお茶杯王位戦七番勝負第5局で挑戦者の豊島将之九段(32)に勝利し、タイトル防衛と3連覇を達成した。シリーズ成績は4勝1敗。この結果で、通算タイトル獲得数は史上最速・最年少で10期に到達した。

 今シリーズは、3連覇を目指す藤井王位に、2期連続の挑戦で4期ぶりの王位奪還を狙う豊島九段との激突なった。先勝を飾ったのは豊島九段。しかし、藤井王位はその後3連勝を飾り、一気に挑戦者を追い詰めた。全5局で「角換わり」の戦型を志向。本局は出だしから互いに慎重な序盤戦をたどり、早々に前例を離れた。1日目は、中盤の難所で藤井王位の手番で指し掛けに。2日目に入ると、藤井王位は前日の受けの姿勢からは一転、猛攻を開始した。

 後手は積極的に戦線を拡大。自玉の延長戦には先手の飛車が待ち受けていることも構わず、激しい戦いを仕掛けていった。しかし、豊島九段も簡単には倒れない。一見動きが制限されそうな自陣深くに角を打ち込み均衡を保った。激しい攻防戦となった終盤戦では、後手が1筋に角を打ち込む一手に、ABEMAの中継に出演した広瀬章人八段(35)は「名手。発見しにくい手」とコメント。先手は細かい技を多数繰り出し藤井王位に迫ったが、後手はじわじわとポイントを積み上げて押し切り、大きな勝利を掴み取った。

 七番勝負開幕時には19歳だった藤井王位は、期間中の7月19日に20歳の誕生日を迎えた。この王位防衛が藤井王位にとって20代となって初めてのタイトル。2020年度の棋聖挑戦以来、一度としてタイトル戦での敗退がない藤井王位は、史上最速&最年少で節目の10期到達となった。歴代最多99期の羽生善治九段(51)の10期達成は23歳4カ月。初タイトルの棋聖獲得からの到達は4年1カ月を要した。さらに到達までには2度敗退しているだけに、藤井王位の偉業が際立つ。通算獲得数は歴代9位をキープ。連続記録がどこまで伸びるか、今後ストッパーは現れるのか、ますます目が離せない。

 藤井王位は、10月には今年度3つ目の防衛戦となる竜王戦七番勝負が開幕。竜王経験者でもある広瀬章人八段(35)を挑戦者に迎えるとあり、気の休まる間は無い。さらには、年度内六冠獲得に向けた棋王戦コナミグループ杯挑戦者決定トーナメント、最年少名人を目指す順位戦A級でのリーグ戦と、ファンにとっても見どころは目白押し。藤井王位の今後の戦いに期待は高まるばかりだ。

 ◆藤井 聡太(ふじい・そうた) 2002年7月19日、愛知県瀬戸市出身。中学2年生時の2016年10月に史上最年少で四段昇段、史上5人目の中学生棋士となる。2020年度の第91期棋聖戦でタイトル初挑戦。渡辺明棋聖(当時)を破り、17歳11カ月で最年少タイトルホルダーとなった。以降、竜王1期、王位3期、叡王2期、王将1期、棋聖3期と、獲得と防衛を重ねて通算10期。棋戦優勝は5回。通算成績は278勝56敗、勝率は0.8323。趣味は鉄道、チェス。
(ABEMA/将棋チャンネルより)

転載しました。(ド田舎会長)↑

7月 小旅行  報告⑨ 中津川市c 「桂小五郎の隠れ家」

(岐阜県)中津川市を再訪して、(一つだけ)確かめてみたいことがありました。それは(表題の通り)「桂小五郎の隠れ家」のことですね!桂小五郎と言えば、自分の子供のころ、漫画などで「三条大橋」のたもとでの乞食姿を思い浮かべます。鞍馬天狗の頃です。(笑い)素人歴史愛好家になって、桂小五郎が「維新の三傑」=西郷隆盛~大久保利通~●木戸孝允(桂小五郎) の 一人であることは判っていますが、中津川に隠れ家があることを、前回(チョロット)その表示看板を見ておりました。料亭「やけ山」(隠れ家跡)を見学しました。

「長州藩」末裔の一人として、見逃すわけには行きません。まあ、「逃げの小五郎」とも言われ、(結果)暗殺&戦死 では無く病死(明治10年 43歳没)で生涯を終えたわけですが、もう少し生き永らえておれば、「伊藤博文」より先に総理大臣になっていたでしょう。結論から言えば、1862年の6月3日に、当時の13代藩主(毛利敬親=慶親)の江戸帰り(参勤交代?)を待ち受けて(いわゆる)「中津川会談」なる(藩主との)政治的交渉を行なった!と記録されています。。

筆者の大好きな「幕末」~「維新」から見れば、この時点では「坂本龍馬」「世良修蔵」も生きており、「蛤御門の変」も「鳥羽伏見の戦い」も、まだ起きていませんね!この藩主との話し合いで決まったことは「公武合体」の毛利藩の方向を「尊王攘夷」=その後「尊王倒幕」 に方向転換する(歴史的に)実に重要な話し合いを行い、(そうせい候と言われた)毛利敬親藩主の(三日がかりで)説得に成功、いよいよ激動の幕末(大政奉還&戊辰戦争)~明治維新に突入していくのです。

桂小五郎は、一度は捕まりそして逃げて、あちらこちらに「隠れ家」があったようです。かなり良く判らない部分が有るようですが、このように150年以上経っても、その隠れ家として(丁寧に)保存してある岐阜県「中津川市」の皆さんに感謝したいと思います。

☆「中津川市中山道歴史資料館」 安藤嘉之館長 にもお目にかかり、いろいろと教授頂きました。(感謝 感謝)