日別アーカイブ: 2018年9月1日

偶然!見つけました。(浮石義民:直訴之碑)下関市内日:亀ヶ原旧道

数日前の午後「ベルベルソル」(王司)にて遅い昼食。その後 (毎度の)“ 裏道 ” 経由にて帰路につきました。言わば農道や山道経由ですね。(王司~清末)「阿内」からグリーン道路(バイパス)、(菊川)吉賀~込堂~東中山~(豊田)阿座上経由です。「阿内」の自販機(お店)のところを左折、1キロ強 行ったその終わりごろから右折すれば良いものを、そのまま直進、山の中へ分け入りました。一応「進入禁止のバリケード」になっていましたが、過去行ったことがないので(勇気を出して進入しました) 《時として、行き止まりもある!》(苦笑)

この市道?(林道)木の葉や木切れで(少々)荒れてはいましたが、立派なアスファルト道路、左右にガードレール、ここ数年 車が通った形跡なし!結構な距離(おおよそ3キロ)を走行、さて “ 何処に出るのでしょう? ” なるほど出ましたね!「ごみ焼却場」(環境センター奥山工場)の手前であります。考えるに、この「ごみ処理場」建設の折、地元地域の振興のための市道整備の立派な道路?と考えました。(奥山ー阿内線(おうち)①通行量がほとんどない!②ごみポイ捨て!対策 などの危惧から、通行止めにした!ものと思いました。(後々の市道維持管理が大変??)確かに、空き缶~ペットボトル~一般ごみ~、大量不法投棄類など一切なく、木の葉の絨毯ベルト、時々倒竹などあるものの、素晴らしく立派な道路でしたねえ!まあ、進入禁止を犯してまで入り込む(フトドキもの)人間は、まずいませんからね!(苦笑)

帰路に就く場合、できるだけメーン道路を避けながらゆったり帰ります。内日の水源地の裏(進入禁止)を抜けて、内日の旧道に進入、そこの道端に(1個)ペットボトルが落ちていました(そこで停車)。なんと!そこの左側に “ 立派な記念碑 ” が建っていました。何となんと!「浮石義民直訴之碑」であります。地元「豊田町」の住民として、この直訴成功の場所に来たのは、(実は)初めてなんですね。(今まで訪れておらず)少しばかり情けなく恐縮ですが、実に新鮮味があって驚きの何物でもありません。「安倍晋太郎」(外務大臣)「周東英雄」(農林大臣)「滝口 純」(山口県会議長)ほか 一金二万円也 石柱柵 昭和44年の建立(1969年)。「前田」さんと言うお家の敷地傍でしたねえ!

「豊田町浮石・亀尾山八幡宮」(決起~出立の際、水杯=みずさかずき を交わす)それから「豊田町杢路子・渡瀬」(むくろうじ)(直訴失敗)それぞれに、この「浮石義民」伝承の記念碑は建立されています。この内日:亀ヶ原の「直訴成功の地」の記念碑を見つけて、どことなく感激しました。現在では考えられない「江戸時代」幕藩体制=5代~6代将軍:徳川綱吉~家宣の頃、年貢米の取り立てが厳しいのを、農民代表5名が「幕府巡検使」に直訴し、その後処刑された!時は1710年のこと。300年以上経過しても、(毎年必ず)12月22日 地区住民(大人も子供も)による「法要」が続けられているそうです。(浮石地区:舜青寺)

★直訴しただけで、処刑(打ち首)!(庄屋など5名) 《余談》 そう言えば、先日のコメント「白虎隊」の少年隊士の自刃(自害)の話はもちろんですが、生き残り隊士「飯沼貞吉」の死後、19人の仲間の墓のそばに、葬られなかったことなどを、ふと!思い出しました。「飯盛山」の(少し)離れた場所にお墓があるそうですが、、、。(何でも)生き残りを非難されたとか?全てが、かわいそうな話です。