国内 訪問地紹介 その⑥

いよいよ「大分」に移ります。大分は「瀬戸内海」を挟んで、歴史的にも山口と深い関係にあります。

古くは(室町時代~戦国時代)〇「大内義隆」(周防国の戦国大名)=(隣町 湯本温泉 大寧寺で自害)

〇「大友宗麟」=(豊後国の戦国大名)が有名ですね。諸々「因縁な関係にある」敵対~親族?~友好(詳しくは、、、、)

いちばん最初に「大分」に行ったのが、西市小学校の修学旅行でした。 〇「宇佐八幡宮」 〇「青の洞門」 〇「深耶馬渓」 〇「湯布院」(ホテル山水館)=長鉄バス

その後、 〇「中津」 〇「別府」~地獄めぐり(血の池地獄)~楽天地 ケーブルカー 「大分市」 〇(高崎山のサル)それから 〇天領「日田」豆田町(東京海上日動グループ エクセレント旅行)→初田貞明さん(山口支店 業務課長) 仙石昇士 営業課長 (再訪 願望)当確  〇「岡城跡」=竹田 荒城の月 〇「やまなみハイウェイ」(九州横断道路) 〇「城島高原」 ・ 高校修学旅行(大阪発)で、大分港:上陸~高崎山へ

最近では  〇「九重夢大吊橋」へも車でいきました。(再訪 願望)場所です。大分には、近場ですから 7回は行っていますね!

〇「大分スタジアム」(当時 大分ビッグアイ)=日韓ワールドカップ(東京海上日動 山口支店キャンペーン入賞)→「松田和男」山口支店 業務リーダー(その後 山口支店長) ほかAg10数名 確か? チュニジア対ベルギー(1対1) 2013年10月4日ブログ参照 →下の「カテゴリー」の 「大分」をクリック、即座に出ますよ!

☆路線 ●「日豊本線」(鹿児島~宮崎~大分~小倉) ●「久大本線」(大分~湯布院~日田~久留米) ●「豊肥本線」(大分~阿蘇~熊本) 色々 乗車しました!

(熊本)へ   続く、、、

<速報> 将棋 順位戦(名人戦)B級2組 9回戦「藤井聡太」2冠 勝ちました! 対 「中村修」9段 これにて、8連勝 B級1組への昇級へ向けてリーチ 1月6日 21時59分 投了 (順位戦は、19連勝)☆次戦 2月9日 対「窪田義行」七段

1 thought on “国内 訪問地紹介 その⑥

  1. 藤本貴司

    こんにちは、予報どおりの雪、寒い日になりました。私の小学校修学旅行思い出と豊田町にもキリシタン大名「大友宗麟」の七女の姫君「引地君(ひきぢのきみ)」高さ約2mの立派なお墓五輪塔のお話しです。
    まず小学校修学旅行は、会長とほぼ同じ宇佐八幡宮~別府温泉見学(一泊、枕投げで大騒ぎ)~翌高崎山(お猿さんの餌を内ポケットに入れていたところお猿さんに飛び付かれ餌持ち逃げされる、とても怖かった)~楽天地=バスは長鉄か山電か記憶なし。
    「引地君の墓」の案内看板をみて同級生に「ひきぢくん」という方がいたので何でここに同級生のお墓がある?と笑。
    「引地君(ひきぢのきみ)」は毛利元就の9番目の子「毛利秀包(ひでかね)」の正室です。秀包は豊臣秀吉の人質となるも秀吉にいたく可愛がられ「秀」字をもらい改名、武勲も数々22歳で久留米城主となり、翌年秀吉の仲人で引地君が輿入れ。引地君(キリシタン名マゼンシャ)は信仰があつかった。秀包は関ヶ原敗戦後の1601年35歳で没する(秀吉のもと活躍は省略)。引地君は1648年没、殿居で亡くなり、神上寺の墓所に埋葬され、この地に五輪塔墓が現存している。生年不明だがおよそ80歳前後だったそうだ。長くなり、この辺で終わります。

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