「手前味噌」の話 ③

家の話をしています。(まとめ)昭和の52年の終わりごろ、親父さんと(少々無言?日頃から)衝突が起きました。それは会社の裏に、ごく安く小屋のような住まいを建てる!と言い張って(それがもとで)結果「勘当書」なるものを頂戴し、会社を出たのです(出された!)(早い話が 親子の縁切り)。住まいは「隣町の菊川町」の町営住宅でした(ふた間と台所) まあ ものすごく狭い住宅 でした。(まあ、それまでも 全く会話もなく、情けない親子関係でした)

勘当書をもらってから、(仕事もせずに2ヶ月くらいして(ふらっと)(知らん顔をして、何事もなく)(会社に)戻って来たのです(それまで家内の実家に居候していました=いそうろう)。親父さんは、何も言いませんでした。(それから)しばらくして例の大事故(狩猟事故でSokusi)仲直りなどする間も無く、お別れ!となりました SHIーBETU。そして(しばらくして)某大工さんと懇意になって、いろいろお付き合いするうちに、(貯金もそれほど無いのに)家を建てよう!という事になったのです。

(余談 参考)自分が生まれた家は、土地は軽く200坪、広い日本庭園があって、家だけでも80坪はあったでしょう(現在の総合支所の処)。但し既に老朽化 雨漏りなどひどい状態、ただし両手で抱えられないくらいの「大黒柱」(こえ松)がありました。18畳の大広間 12畳の和室などなど、デカい家でした。(二階建て)   <余談終わり>

とは言え、先立つもの(預金)100くらいあったような?(新築を建てられる頭金では到底ありません。おまけに「タイヒ」「まるドジ」「平屋づくり」 などなど、亡くなった親父さんに報いるためにも、人並み以上の家を!建てなくてはと(気持ちだけは)粋がっていました。

そのドンピシャ(偶然的に)、下関のおばちゃん(ぽっぽかあちゃん)から受け継いだ(名義が自分の)土地建物の一部を購入したい!という話が持ち上がりました。結果 800もの大金を得ることが出来たのです。

☆(運が良かったのか?)奥まった不必要な土地~長屋など 隣の地元「有力者」に売却  まだ続きます、、、

 

 

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