日別アーカイブ: 2021年3月21日

「長門ポッポ」(記憶から)

「長門ポッポ」について、コメントしてみましょう。既にご存じのように、「長門ポッポ」とは、下関市小月駅ー下関市豊田町矢田 (大正時代の開設当初 豊浦郡小月村ー豊浦郡西市村)小月ー西市間 を走っていた「長門鉄道」 C型蒸気機関車 のことですね(ちょっと小さい)。自分の記憶では、数回は確実に乗車しています。昭和31年に廃線と言いますから、小学校5年生の頃には無くなった!という事になります。現在、このアメリカ・ポーター社製 C型蒸気機関車を(京都府加悦SL広場 鉄道記念広場より 無償譲り受け  国鉄1045形)移設(里帰り)の為、多くの有志の皆さんが活躍されています。→長門ポッポを守る会 道の駅「蛍街道西ノ市」内

現在の「豊田梨(なし)選果場」周辺が「西市駅」の停車場、駅舎や線路など結構広い感じ、勝手に線路内に入っては遊んでいました。駅の前に(大きな)旅館、松田モト女史が経営しておられた「松田屋」旅館、がありました。(松田教育財団の創設者)→西市農林学校の設立者(その後 県立 西市高等学校となる)2階に上がる階段は、幅が3㍍くらいあって、螺旋(らせん)階段でした。

強く覚えているのは、矢田の「大木素子」先生(代用教員なので、20歳前後?か)と、同級生 十数名、この「長門鉄道」に乗って「西中山」停留所まで行きました、、、目の前の河原で遊んだことを思い出します。石投げ(平べったい石を水面に、、)をしたり、お弁当?も食べたかも?ここは「西中山=岡枝 校区」、越境遠足で(確実に)校内規則違反でしょう。

☆『同級生』 田村拓也 渡邊和子 福岡恭輔 千葉武彦 木曽茂也 中島暢彦 宮田貞子 金田信子 吉村昌子   村川敏子 藤永睦弘 山名秀夫? 福井幸男  田坂礼子 西村槇子 野村正和? 小林正一? 藤田吉市? 田中喜代子? 岡村春樹  村野百合子? 石田加代子? 三村匡?  岡本幸慈  田坂菅子?  磯田芳子?    他 多数 ●昭和27年~28年頃?のことです。(参考まで 記憶があいまい)

そうそう一番の話ですが、自分の叔母ちゃん 下関在住で「鉢の木」という高級料亭を経営していたのですが(木造3階建、大きなお風呂の真下には(池があり)底が ぶ厚いガラス張り、その叔母ちゃん の ことを実の母親のように思っていて(6人兄弟姉妹のなかで)自分がイチバン可愛がられていたそうです。(実子がいなかったので、一番上の姉を養女にしていた)肝心なことは、その叔母ちゃんのことを「ポッポ母ちゃん」といつも言っていたそうです。

下関の赤間町(稲荷町)まで良く行っていたようで、お手伝いさん(名前忘れました 二人いた若 いほう)に連れられて会いに、、、。自分のお袋さんは、子供をたくさん産んで 結果8人(当時伏せてばかり)その頃、「肋膜炎」を患っており、自分が飲める乳は出なくて、そんな環境からか「ポッポ母ちゃん」に向かったようです。当時の家業は「雑貨商」と材木業(原木買い付け)、結構あわただしいアキンドの家庭でした。まあ、そんな按配で(自分にとって)この「長門ポッポ」は、格別な思い出があったのです。→原木は大型トラックで運んだようです。写真がありました。

実兄(伊藤修二)が会長となり(長門ポッポを守る会)が発足した当初から、そのことが耳に入り、即座に片手を大きく広げて これだけ約束しましょう!(気持ちが大事なのですが、仕方がありません 困った性格です) 即座に寄付(山口銀行へ振り込み)したのは「ド田舎会長」であります。今の処、マラソンで言うところの、先頭集団を走っているはずです。(これは爆笑もの、ポッポ母ちゃんへのプレゼント=想い でもあるからです。)

☆余談ですが、この「ポッポ母ちゃん」は、(遺産相続された)土地数ヶ所を「ド田舎会長」に生前贈与していたのです。自分が3歳の頃、すでに名義が代わっていたようです。・「スクラップ置き場」と・「生(しょう)の田」現在の S邸 の土地それぞれ300坪前後 生まれてすぐに 土地持ちです!