JET STREAM(音楽のある風景)から ㈱燈音舎 NO.16

☆ナレーション『スゲベニンゲン』  :城達也

ハーグの町から、市電に乗って行きつく海の
長い色敷石の遊歩道に、人影もまばらな頃のことだ
その年は、幾らか不十分な夏を過ごして
立ち並ぶホテルも、カジノも 海に突き出た水族館月の桟橋も
冴えない顔をしていた

遊歩道の下の砂浜に
映画のセットみたいに並んだ
天井なしのガラス囲いの海の家が
北海の風を隔てたデッキチェアーに
浮かぬ顔の海水浴客を集めていた頃

強風に波立海が、砂まじりに濁って
一握りの若者たちの胸板を洗い
無謀とも見えるヨットの帆を
沖の波間に見え隠れさせていたものだ

チーズ色をしたオランダ娘の肌が
褐色に焼きあがる筈(はず)の夏であったが
あだな願いの季節がめぐり
心残りの遊歩道には
乗る人もないメリーゴーラウンドが
打ち捨てられたように止まっていたのだった

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▽NO・16 サンタマリアの祈り  / ジェームス・ラスト

『楽曲解説』

指揮者としてだけでなく、作曲家としても 多くの佳曲を出しているジェームス・ラスト・。この曲もそんな一つで、自作自演で彼の代表曲と言われています。ただ、これはあくまでも日本に限った話で、ドイツ本国でも諸外国でも彼のベスト盤などには入っていません。実はもともと1960年代末にカナダで発見した新人歌手=ジョージ・ウォーカーのために作曲したもので、純粋なオリジナル曲でないからです。世界の人々に知ってもらいたい曲ですね。ちなみに西城秀樹の持ち歌にも、同名異曲があります。

▽NO・17 そよ風と私   / スタンリー・ブラック

『楽曲解説』

1928年にキューバのエルネスト・レクオーナが作曲しました。6曲からなるピアノ組曲「アンダルシア」の2曲目をピックアップして、独立したポピュラー音楽にしたものです。ポピュラーになってからの曲も しばらくは「アンダルシア」のままでしたが、1940年になってアメリカのアル・スティルマンが「そよ風と私(The Breeze and I)という素敵な曲名を考え出し、以来急速に人気が出てきました。

1 thought on “JET STREAM(音楽のある風景)から ㈱燈音舎 NO.16

  1. 児玉進矢

    今年の漢字が発表されましたね。「戦」でした。多くの人の心象風景には、ウクライナに降り注ぐミサイルや爆弾があったのでしょう。ちなみに2位は「安」。コロナ禍が一段落して安心という意味でしょうか、はたまた志半ばで斃れた安倍元首相を偲んだのかもしれません。ともあれ、「戦」であれば納得です。

    ただ、少し考えてみたのですが、もし私がウクライナ人でウクライナにいたら果たして「戦」という文字がしっくりきたのかな?現実にミサイルが飛んできて、親しい人が亡くなる、家を焼かれる、電気は来ない、寒くて堪らない、食べ物もない、、そんな時には「戦」という客観的な文字ではなく、「悲」「恐」「憎」「寒」「飢」のような主観的で感情溢れる文字でないと、その現場にいる人の気持ちを表すことはできないように思います。「戦」を選べるということは、安全な世界から見ていることを意味しているように思えます。

    太平洋戦争中の日本人なら多分「戦」ではなく別の一文字を選ぶでしょうね。今、防衛費を巡り色々と動きがありますが、硬軟織り交ぜて、近隣のややこしい国々と上手く渡り合い、末永く平和を維持して欲しいものです。

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