3月23日 素敵な一日でした

温かくなったと思ったら、雨が降ったり、急激に寒くなったり、ややこしい日々が続いています。昨日23日(火曜日)朝からとても調子が良くて、(やはり)当たり前のことですが、23時前に床に就くと、早起きとなります。オンデマンド深夜放送の「ATPテニス」放映も無く、早めに就寝。

昨日は、またまた(待ち焦がれた)将棋=「藤井聡太」二冠 の 最終戦(2020年度 4月~3月)があったのです。5時過ぎに(縁起かつぎか?)美祢まで(わずか)5箱のティシュペーパーを貰うため、クラウンを走らせました。(意味不明)

久しぶりに 炊き立てのご飯が出来ました。買ったばかりの (滝部「よもぎ村」) 「たまご」かけごはんで朝食、おかずは「ゆで卵入り サラダ」そして「河田農園」のお野菜 大盛(ブロッコリー中心)にドレッシング&マヨネーズ おいしかったですよ!

ジャスト9時半、パソコンで AbemaTVスタート 、将棋 34期:竜王戦2組ランキング戦(トーナメント)準決勝が始まるのです。10時開始。そうそう10時に「東京海上日動あんしん生命」山口生保支社 の 「藤本陽子」主任 並びに 「東京海上日動火災保険」下関支社 「大政憲太朗」主任が来社予定、、パソコンは置いたまま、あわてて出社したのです。ミーティングに参加の予定は無いのですが、どことなく(勝手に)参加したのです。2020年度の(生保)締め切りまで10日を切りました。先週、どことなく(ぎこちなく)数字が伸びませんで、ヤキモキしていました。

結論だけ言いますと!遂に(全国入賞に)リーチがかかりました。(爆笑)  ミツエさん実に良くやりました。計算すると、目標数値AAP2000万に対して、1965万に到達したのです。「フロンティア倶楽部」全国入賞までアトわずか となりました。夕刻 「山口生保支社」 「関一樹」支社長からケイタイがありました。(自分は)久しぶりの饒舌、やはり嬉しいですねえ!昨年の11月の初めでは、700万前後でしたから、ミツエさんを初め 助っ人の諸君、良くやりましたね!まだリーチですが、麻雀と違って(この)リーチは100%挙がれますよ!(嬉しい)

「藤井聡太」二冠 ご存じのように勝ちました。これで来期は(いよいよ)1組へ昇格、17連勝 今年度44勝8敗 勝率0、846 全棋士ダントツ1位(3年連続)竜王戦は23連勝中、これらは新記録でしょう。(但し 竜王戦決勝トーナメントでは、途中で負けて 挑戦者になったことはありません)これにて「竜王戦」は1組へ 名人戦(順位戦)は B級1組へ、いよいよ面白くなってきました。☆対局相手 松尾歩八段(40歳) 75手で投了 決勝の対局は「渡辺明」三冠対「八代弥」七段との勝者  とても嬉しいイチニチでした

◎追記 八代弥七段が勝ちました!

☆今回の妙手(オトリの捨て駒) 4一銀 タダでコマを取らせて、相手の金を動かす!そこで勝機が生まれる 「藤井聡太」二冠は ●オトリ戦法と●待ち伏せ戦法(ド田舎会長の弁) が実に巧妙 ギャンブラーには良く分かります

(報告)ゴミ退治ですが、「稲見」~「湖畔公園」~「大河内」1袋ゲット

1 thought on “3月23日 素敵な一日でした

  1. 児玉進矢

    1992年7月、伊藤社長(ド田舎会長)との最初の出会いは、その後の波乱に満ちた4年間の下関勤務を予想させるものでした。
    当時私は弱冠29歳(現在58歳です)、東京丸の内の本店で新人から7年間の勤務の後、初めての地方勤務という人生の一大イベントを迎え、新たな仕事への不安を若気のいたりと言えば そうとも言える根拠のない自信に無理やり包みこんで、山陽新幹線の新下関駅に降り立ちました。

    赴任初日、前任者の運転する車の助手席に乗り込み、まずは小月のホームセンターに立ち寄り、そこで額縁を購入し、進路を北にとり一路豊浦郡豊田町を目指しました。菊川町の中心地を抜けると私の視界に牛が飛び込んできました。えっ?牛???それまでの7年間、ほぼ山手線の中で仕事も生活もして、ビルやアスファルトしか見ることのなかった私は、のんびり草を食む牛たちを見た時、一体自分は今ここで何をしているのか、もしかして旅行にきたのか、あの転勤辞令は夢か幻だったのか、、軽い混乱に陥ったのでした。

    記憶が正しければ、木屋川沿をどんどん遡り松田別館(この場所もその後、ミツエさんとの波乱の舞台となる)の先の信号を左折して西市自動車に到着。車を降りるなり大型犬にとてつもなく吠えられる(犬に吠えられたのは小学生の頃以来だ)。事務所に入ると正面の奥の一番偉い席に小柄な神秘的女性の佐藤さんがでんと構える(年齢不詳のなかなかチャーミングな人であった)。その前に2つずつ向き合った四つの机があり、末席に坊主頭の修行僧のような島岡さんがいました。犬、佐藤さん、島岡さんのトリプルコンビネーションでもかなりの衝撃であるが、やがて(森から出てきた)野人のような迫力のある一人の中年男性が事務所に入ってきました。そう、これが伊藤社長との出会いでした。前任者は私を紹介すると勝手知ったる家のように裏手の工場に回り、大きな脚立を持ち出し再び事務所に戻り、さっき買った額縁に表彰状を入れると、やおら上着を脱ぎ脚立をよじ登りその表彰状を飾ったのでした。彼は満足そうに「これが担当者の大事な仕事なんです」と笑っていました。私の「出入禁止」という運命はこのときすでに決まっていたのでした・・・

    私は児玉進矢。このブログでたまに会長に取り上げていただいている東京海上山口支店の30年ぐらい前の担当者です。今は東京海上日動を退職し、千葉の幕張で国の機関で働いています。これからこんな形で時折り「ド田舎会長」の部屋にお邪魔してみようと思います。

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