国内 訪問地紹介 その⑫

いよいよ「福岡」です。さしさわりのない程度で紹介します。まあ、四年間住んでいたので、大げさに言えば、最高に人間形成が出来上がった時期?でしょうか。

無難に  最初は  〇「柳川」ですね! ここも「東京海上日動グループ 山口支店」のエクセレント旅行(入賞代理店 プロ 兼業)で 行きました。水郷柳川の 川下り うなぎのセイロ蒸し 北原白秋

〇「久留米」 〇「大牟田」テニストーナメント 久留米の 内山岑生 君(同期)硬式庭球部 のご自宅(歯医者さん)へ泊めてもらいました。(雨で試合が流れたため、数日ご厄介になりました)高良山へも登りました。この時の試合で、柳川高のペアと戦い、なんとか勝ちましたが、、その相手チームの1人が「立花」君と言って、立花藩の末裔でした。

福岡では、それほど紹介するポイントはありません。大学(西南学院)は、西新町にありました。最初は兄がいた下宿に泊めてもらって、(九州大学土木工学)その後、下宿をコロコロ変り、後半は「住宅公団」のアパートの二階に、姉と兄の三人で住んでいました。(薬院大通り)

大学に行ったのやら、(アルバイトばかりしていましたから)、働きに行ったのかも?そうそう「硬式庭球部」(体育系)に入って、一年~二年は(ほぼ)真面目にやっていましたが、後輩に 強いのがどんどん入ってきて、次第におろそかになりました。

体育系の部活の 三禁 を、まともに破ったのは、紛れもなく自分です。①アルバイト禁止 ②運転免許証禁止(自動車を持つ) ③麻雀他ギャンブルなど禁止 三禁ではなく、もう一つありました。これは、、、

それでも、仕事の楽しさ、お金を貯める喜び、麻雀で連戦連勝、車に乗って(仲間と)色々な処へ 一番は「営業への開眼」でしょね!学業は全く覚えていませんが、必須科目は落とさず、単位は実に要領よく、3年で全てクリアー、四年の時は「キリスト教学」それと「卒論」のみ、、優 良 可 で、99㌫ 可 ばかり、(4年の終わりには)当時の金額で 80万円強(現在では10倍か?) 貯金がありました(アルバイト 仕送りなどで貯める)。勿論、卒業後(帰省)、お袋さんに全て渡しましたが、、いや 取られました。

大学一年の時、部活の歓迎コンパで、飲めないのに(莫大)飲んで(ちゃんぽん)、下宿で深夜、オオ吐き 家主さんにおお叱られ、お酒が弱いこと、このことが自分の人生を決定づけたのです。お酒もたばこも全く縁遠い、、まあ、あとの何とか??が人並み外れていますから、、(大爆笑)

福岡  続く、、、

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