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将棋のコメント  b (タイトル戦&一般公式戦)ほか

「藤井聡太」プロ棋士の出現により、「将棋」の世界にのめりこんでいます。実はこの「将棋の世界」ですが、(結構)歴史があって、奥深く、まだまだ全体像を掴みきれておりません。「奨励会」(六級から始まって「三段リーグ戦」の上位2名が=年2回 計4名のみ(例年) プロ棋士⇒四段 になれる。)26歳までの年齢制限もあるようです。
(プロ将棋の最高位の九段になっても、成績が悪いとトコトン落ちて、最後は引退の憂き目に会う!まあ、大変な世界であります。完全なる「弱肉強食」!段位は幾ら落ちてもそのままです。(段位の取得は、細かい決め事あり)説明難しい。

将棋の対局を「棋戦」と言うそうですが、一番上の「棋戦」は、「タイトル戦」ですね。現時点では「八大タイトル戦」と言われています。その次が「一般 公式戦」、この二つが何勝・何敗の成績対象になるようです。これ以外にも公式戦ではない「対局」やアマチュアや子供達参加の大会などなど、(プロ棋士の方々)かなりハードな世界ですね。

少しばかり(裏付けを取るため)調べてみました。

★八大タイトル戦(現時点での)タイトル保持者↓ 
 1 竜王戦 ◎羽生善治 47歳   
 2 名人戦 ◎佐藤天彦 30歳  
 3 叡王戦( 4年前に出来、昨年タイトル戦に加入) ◎高見泰地 25歳
 4 王位戦 ◎菅井竜也 26歳 
 5 王座戦 ◎中村太地 30歳  
 6 棋王戦 ◎渡辺明  34歳 
 7 王将戦 ◎久保利明 42歳  
 8 棋聖戦(ヒューリック杯) ◎豊島将之 28歳

★一般公式戦
  a 朝日杯将棋オープン戦(準タイトル戦)◎藤井聡太 15歳
 b 銀河戦  ◎久保利明  42歳
  c NHK杯トーナメント・持ち時間何と!僅か10分(日曜日11時頃 教育テレビで放映しています 録画だと思います
        ◎山崎隆之  37歳
  d JT将棋日本シリーズ
        ◎山崎隆之  37歳
  e 新人王戦  ◎増田康宏  20歳
  f 上州YAMADAチャレンジ杯
        ◎大橋貴光  25歳
  g 加古川清流戦◎西田拓也  27歳

★上記以外の超注目棋戦!!
 「AbwmaTVトーナメント」が始まりました。
 これは「羽生善治」竜王の提唱とか?(今晩!)日曜日夜8時(20:00)から 何と、持ち時間が(僅か!)5分、一手指すごとに5秒プラス 目が回りますよ!詳しくは現在調査中!

まあ、トーナメント方式やリーグ戦方式、それぞれ段別の予選トーナメント、それにアマチュアの代表が参加したり、女性棋士(女流棋士)の参加もあって、説明は難解!です。もう少し、調べてみましょう。

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≪ 速報 ≫ネットより コメント参照
○藤井聡太七段-●里見香奈女流四冠
第90期ヒューリック杯棋聖戦一次予選で、藤井聡太七段VS里見香奈女流四冠の対局が8月24日に行われ、藤井七段が82手で里見女流四冠を破り、勝ち進みました。この対局に勝ち、藤井七段は6連勝となりました。
次戦は、村田顕弘六段と対局します。

 
 

「世良修蔵」b(明治維新150年)&(戊辰戦争150年)

「世良修蔵」について、二回目のコメントをします。長州藩士「世良修蔵」山口県大島郡椋野町(現在の周防大島町=第二奇兵隊)が「戊辰戦争」の始まりの頃、(深夜)奥羽福島の金澤屋で襲撃され、阿武隈川で斬首された。昨今、この「世良修蔵」惨殺が(歴史学者や歴史愛好家の間で)研究?~再考?されています。「世良修蔵」の人物そのものは(実際)どうだったのか? 「司馬遼太郎」や「早乙女貢」などからミソクソに書かれ、NHKテレビドラマや民放テレビなどでも、その表現には目を覆いたくなるような悪行三昧の表現であります。(長州~山口県に来てその素性なりを調べたのか?本当の「世良修蔵」はどうだったんだ!などなど)

☆「世良修蔵」長州藩士 僧月性派 第二奇兵隊(軍監)大島口の戦い 鳥羽伏見の戦い 奥羽鎮撫総督府:下参謀(実質の指揮官) 福島金澤屋で襲撃される 阿武隈川で斬首  宮城蔵王白石「陣場山」に墓所

★それはそれとして、(戊辰戦争について)ここ数年の間(歴史研究者によって)、様々な事象(新資料)が発掘(発見)されています。

①会津戦争(1868年)「市中に転がる屍(しかばね)、一年間葬ること無かれ!」、これは新政府側(特に長州藩)が言った!とされる(会津地方での)伝承ですが、→(新政府側が会津に対し、死者の埋葬を禁じていたという伝承)強烈ですね!
☆元会津若松図書館の「野口信一」氏の(会津戦争)史料研究で、(新政府による)「埋葬許可証」並びに「埋葬者一覧表」などが、会津藩士の子孫の遺品の中から発見され、(ごく最近のこと、ここ数年前)注目を浴びています。

②俗に言う「世良修蔵」の悪行三昧ですが、元柳井図書館長「谷林博」氏が、5年に渡っての(東北地方)調査により、「世良修蔵」の人物像が明らかにされて来ました(世良修蔵は ・学者タイプ、・超真面目、・インテリ だった?)。東北での聞き取り調査で、“ 世良は気の毒な人だった!” → 白石城主の末裔(片倉信光氏の弁あり)(昭和49年9月発行、歴史書「世良修蔵」による)かなり歪められた伝承となっています。
宮城県白石市福岡蔵本「陣場山」に建立されている(実に立派な)墓所(明治天皇が、東北行幸時立ち寄り 木戸孝允 献灯)、福島市舟場町「長楽寺」での150年法要=筆者参列(50年ごとの法要が行われている)、福島市宮町「福島稲荷神社(裏手)」にも、立派なお墓が建立されています。

③江戸幕府末期から明治新政府にかけて(幕末期)「孝明天皇」の崩御(35歳で急死(崩御)=天然痘? Anーsatu??)孝明天皇直筆の「会津藩城主 松平容保(かたもり)」に対して、信任状?らしき書状が発見されたこと(ごしんかん=手紙?)。その後の「王政復古の大号令」や「錦の御旗」???などとの絡み。その時期、明治天皇の年齢は(若干)16歳? 天皇→天皇の取り巻き公家の新政府寄り など、公家の主導権争い、策略?謀略などなど、新政府側のリーダー(重鎮)(西郷隆盛 大久保利通 木戸孝允 岩倉具視ほか)の・・・・?のきな臭さを感じますね!(若き「明治天皇」周辺公家の囲い込みなど、闇から闇、謎な部分が多いのです)
続く、、、、

★筆者の「世良修蔵」惨殺について
①長州藩内での権力闘争(派閥争い)⇒吉田松蔭派と僧月性派
②余りにも切れ者であった為、「捨て駒」とされた?⇒奥羽地方制圧の為(先に手を出させた→仙台藩士他 「金澤屋」襲撃は案外 予測の範囲では?)
③長州人特有の言葉使いが(高圧的な言動や振る舞い などなど)封建的な東北人=武家社会を 怒らせたことは事実であろう。
④開国を急ぎ、日本全土の早期統一を考えた (新政府軍は)奥羽地方の制圧が必須であった!

A「新政府軍」⇒「幕藩体制からの離脱」新日本国家の建設
B「奥羽列藩同盟軍」⇒ 武家社会の大義を貫いた。

特に新政府軍と「仙台藩」「会津藩」「庄内藩」との戦い(戊辰戦争が拡大へして行く)