「豊田のホタル祭り」 スナップ  e (矢野徳夫さん、エピソード)③

★「豊田のホタル祭り」後半のスナップを、4連載にてお送りします。

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《独り言》世良修蔵の傍系子孫である「矢野徳夫」さんのエピソードをコメントしています。過ぎ去った145年前の真実は、到底判るすべも無く、ただ、残された子孫の方々の生き様をお伝えすることで、いくらかでも真実に近づくよう、奮闘?しています。歴史の真実と、歴史小説では、違うのが当たり前ではありますが、いかにも本当だったかのように小説やテレビなどの映像で策話されたのでは、残された縁者~子孫の方々は、たまったものではありません。

・実名で歴史の流れを小説化したり、映像化する場合、最新の注意を図るべきと思います。フイクションである!と断っても、物事には程度!と言うものがあります。良いように(褒めたり)描くのならまだしも、今回のNHK「八重の桜」の「世良修蔵」の愚行三昧、プロの「Yakuza」さんも目を覆いたくなるような演出は、(そのままでは済まされませんね!)民主主義国家のすることでは無いと思います。「世良修蔵」だけでなく、我々「山口県人」=長州人の(それでも無くイメージが悪いのに)悪印象をさらに増幅してしまったのであります。

・矢野さんは、地元:豊田町の住民の一般的なレベル(生き様や能力、考え方など)について、どうしてもYosomonoいわば、他の土地から来られた方だなあ!と思いますね。ご当地この田舎の地域では、言葉や習慣など、すんなり地元に解けこめるにはしばらく時間を要します。そこの住民として100%認知されるには、30年を要する?と伝え聞いたことがあります。狭い田舎ならではのことかも知れません。このようなことは、表立って口には出しませんが、腹の中ではそう思われているのです。まだまだ、表向きな綺麗な考え方とそうではない(辛く悲しい)考え方も共存しているのです。いわばこれも風土・風習でしょうか?

・「矢野徳夫」さんが、世良修蔵の傍系子孫、そしてお爺さんが「世良徳壽」であり、京都大卒 銀行の頭取をし、国会議員まで上り詰めたことを知っている(ここ地元)町民は、筆者を除いて皆無でありましょう。知ってどうなるわけでもありませんが、矢野さんはそのような存在でしたねえ。筆者が偶然にも「菊の御紋」の入った「御盆」を見たばっかりに、様々なことが明るみに出てきました。ある意味では、草葉の陰で、某有名な小説家の方々(複数)は、案外!しまった!と思っておられるかもしれません。独りの子孫の生き様だけで「世良修蔵」を断定することは無茶と言うものですが、少なくとも(世の相場として)常識が無く、女たらし、酒ぐせが悪く(これは当たりかも)プロのYakuzaさんも顔負けするような愚行三昧の人間!として描かれましたから、それほどの無能な人間なのか?生い立ちは?幼少の頃は?成人になってどのような環境にあったのか?学問のレベルは?人間力は?洞察力は?そして、藩に対しての忠義、国家意識など、あらゆる観点から「世良修蔵」の人間像を再構築しなくてなりません。

・昨日のエピソードの回答を少し。野生ザルの撃退方法ですが、< カーバイトによる爆音発生器が通常、それから鉄砲(銃)で撃つ(駆除する)のが一番かも?勿論サルを撃つハンターはまずいませんが、、。>答えは「蚊取り線香」による「時限点火装置」なんですね。人間が、畑などにいる場合、まず出てきませんから、そこを立ち去った30分くらい後、蚊取り線香の最終に「爆竹」をセットするのです。そうすると、人間がいないところで大きな爆音がして、サルはしばらく近づかない!こんな按配であります。これは、簡単な時限爆弾もどきですね。矢野さんから聞いた話です。

・家訓として、使ってはいけない言葉。全て記憶していませんが、「メシ」「食う」「ヤル」などなど、使ってはいけない日本語だったとか!庄屋で国会議員(帝国議会)までの家系、いわゆる準華族の家系、このことから世良そして中司のご先祖さんのレベルが推察できます。世良修蔵の奇兵隊に入隊するまでについては、谷林博著の歴史書(世良修蔵)に詳しく記述がありますので、再確認のためにも、調べてみますが、かなり頭脳明晰、漢学・詩歌など、文字も達筆と記述されていました。そこらにいる「遊び人」「プータロウ」「博徒」では無いようです。

・裕福な家庭、学問を志し、お国のため(長州藩)士族をライバル意識し、手柄を立て続け(歴戦=第二次長州征伐&鳥羽伏見の戦いなど)、(結果、第二奇兵隊軍監を経て、奥羽鎮撫総督府下参謀となり)遂に(双方から?)葬り去られた?ねたまれた?という(筆者の)仮説であります。

 

 

「豊田のホタル祭り」 スナップ  e (矢野徳夫さん、エピソード)③」への1件のフィードバック

  1. 啓天

    このメールが見当違いの時はご容赦ください。
    この度、日本文学館より小説「渋太夫自害」を67歳で初めて書きました。
    全国の書店で購入できますが、無名の新人ですので取り寄せになると思います。
    内容は奥羽鎮撫総督「九条道孝」が海路より仙台に入ってから会津降伏までの約半年間、
    北は「きみまち坂の戦い」から、南は「旗巻峠の戦い」、「世良修蔵事件・秋田川反事件」、
    これらのかかわりなどを、パノラマ的にとらえたつもりです。
    それと幕末の桜田家と「養賢堂・北辰一刀流・清河八郎・坂本龍馬」のかかわりや、
    山南敬助と桜田家の関係も書いております。(販売は10月からです)

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