「山林」について a

前にも(チョロッと)コメントしましたが、現在(新たに)「山林」を取得、登記の手続きをしています。(26万㎡強)50筆前後(一部共有あり)26町歩 6番目の孫名義

1町 3,000坪 9,900m2

☆父親が亡くなって(40数年前)、(遺産)相続の際、現金(預貯金を含む)を(全く)頂戴せず、全て「山林」「田んぼ」「雑種地」など で相続した経緯があります(遺言状なし)。(15万㎡前後 15町歩)まあ、田舎のことですから、どこの家でも「田んぼ」や「山林」は、それなりに持っておられるでしょう。

☆母親と六人兄弟姉妹で相続 

☆10数年前、母親が亡くなった時は、遺言状どおり、会社の土地を相続(弟と共有)、現金は(六分の一)相続後 全額、実兄へ譲った。

自分の家系は → 江戸時代、(どうも)毛利藩の下級士族とのこと、農家でもなく「山持ち」でもありませんが、明治時代に「頼母子講」などの未回収金焦げ付きなどで(金銭保証=山林担保)、「田んぼ」や「山林が」それなりにあるのでしょう。いわば金銭的な「絡み取得」にての、不動産と推測できます。(無尽 民間互助組織 →その後共済)

現在の自分が相続した「山林」の正確な広さは、はっきり記憶しておりませんが、筆数(ふでかず)から言っても20筆前後はあるでしょう。結構広い!

☆暇なときに調べておきましょう。ほとんど「雑木山」ですし、一部「用材になるヒノキ&杉」もあるようですが、・伐採しかけた形跡あり(出しが悪く、諦めたか?) 伐採費用(人件費など)が、高くて、ほとんど金銭的には〇〇同然らしいです。既に8番目の孫に「生前贈与」登記済み(苦笑)

まだまだ、金融が確立していない頃(明治~大正~昭和初め)、田舎での資金の用立ては、「私的な=民間助け合い」いわゆる「頼母子講」(無尽)なんですね!自分も詳しくはありませんが、メンバーが(10名~20名くらいか?)資金の必要な人から(順番に)手にする!総金額から利息分(何というのか知りませんが)を差っ引いて受け取る(札を入れる)、差額(利息分)は残りのみんなで分配する、最後の最後まで(資金の必要のない人ほど)実入りが多いいですね。☆「私的金融=いわゆる〇〇Kasi=これは果たして??なのか!

☆「法務局」で調べれば、当時の「不動産」=土地や山林など が、何処の誰か!分かると思いますが、昨今は(かなり)コンピュータ化されているようですが、「司法書士」さんに頼めば、様々な経緯を知ることが出来ます。(全国のどこからでも、分かるようです=閲覧 コピーOK)明治時代の懐かしい名前など出てきますよ!(原本の写し)

続く~~

1 thought on “「山林」について a

  1. 藤本貴司

    おはようございます。最近の不動産登記関係は書式や記載例がネットで公開されいて、パソコンがあればすぐに作成できます。また法務局相談員さんも親切に対応されます。私が平成30年~令和元年に数回所有権移転登記をする際の相談員さんは特に親切でした。
    平成の中頃まで豊田町にも法務局出張所(現在の山銀西市支店)がありました。出張所時代にも相続登記など昭和の終わり頃から平成13年まで10回位登記申請をしました。昭和の終わり頃はまだカーボン複写の手書き申請書でした、。最初の登記申請は「完璧な申請書でないと受付ないような言い方(暗に業界の司法書士さんに依頼すれば)」でしたから隔世の感ですね。平成に入りワープロ書式になって来ました。平成4年に所得税滞納不動産所有者(私所有不動産隣接地で価値がほとんどないわずかな山林)の肩代わりに納税し、価値のない土地の所有権移転の際は権利書がないため会長と◯村君に保証人になってもらったこともありました。
    さて、今回は広大な山林を登記されるようですが、町内で地籍調査がされてはいますけど時間がかかりそうです、実測すると登記簿面積が大きく増えるケースが多い、たまに少なくなることもあるようです。私は平成30年に初めて地籍調査に参加、大河内地区にある元耕地と山林9筆、真夏の調査で全面的に地元世話人にお願いして委任状参加、この度完成図面の閲覧と確認が12月1日にあり私が閲覧者第1号でした。登記簿面積9900㎡が実測26000㎡でビックリ、山林で評価は低いですが、固定資産税がチョッピリ上がります。トホホです。

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