「児玉進矢」さんの思い出!

東京海上日動火災保険㈱山口営業課(現在の下関支社)の(元)社員で「児玉進矢」さんは、記憶に残る「すご腕」の1人であります。1995年前後?課長代理の肩書で、弊社担当でありました。以前にもコメントしたかも?知れませんが、思い起こせば、色々なことがありましたねえ!

☆山口営業課(当時)→下関支社

①お客様宅へ同行訪問(同行アテンド)当時は それほど ・・・無かった?勧める保険商品は「積立年金保険」でしたね。彼が保険商品の説明を30分~〜していました。

自分は外で息子さんと立ち話をしておりました。ここは契約して頂けるので頑張って!何時(いつ)までたっても終わらない、、おもむろに事務所(工務店の奥様)に入ると、おおよその説明は終わり、それだけで約束を取り付けた雰囲気はありません。(成立していない)

言わば契約の結論が出ていないのです。(現在は、このような営業は ・・でしょう)選手交代で、その直後、筆者が僅か!数分で契約~サイン~捺印 などなどしたのです(月3万)。これには(彼も)びっくり仰天!さて、これは どういうことなんでしょう!結論的には、商品の説明も一番重要ですが、(契約締結には)人間関係(これまでの繋がり)が(さらに)大事!という事なんですね。苦笑

②地元「豊田町」と隣の町「美祢市豊田前町今山」の某お寺さんでのこと。自分は先に訪問(営業活動)時間は(夜)19時ころ、彼はこの山の奥の(へんぴな)お寺まで、車で来たのです(ポケベル?ガラケー?の時代)。現在はナビがありますが、(当時はナビは無く)標識だけの頼りなのか?地図を見て?何と、彼は、それほど時間はかかることなく、到着したのです(今でも ここは難しい山の奥の奥ですよ、筆者から呼び出されたもの、、)。

これには驚きましたねえ。(現在は、このような時間外営業活動は・・でしょう)まあ、(お寺さんと)契約が成立して、晩飯をご馳走してもらったことを思い出しました。外は「闇夜」真っ暗 寒い!寒い!道路には白いものが、、、U課長も先に一緒だったか?良く覚えていません。

③弊社の事務所の壁には、多くの表彰状が掲げられています。全て「東京海上グループ」からのものです。現在は事務所は建て替わっていますが、当時はボロ事務所で(けっして)綺麗ではなくて、そんな(壁に)表彰状を掲げる作業を、東京海上の担当社員にしてもらっていたのです。

筆者が数枚の表彰状を掲げることを頼んだところ、(なんと!なんと!)彼は完ぺきに「拒絶」したのです。こんなこと!やったことがない!服が汚れます!危ない!危ない!などなど さて、自分はどういうアクションを起こしたでしょうか? 結論→ お出入り 禁止

☆彼は赴任して来たばかり、無理はありませんけど!その後、U課長の「仲介にて」円満無事復帰しましたが、、、、。

④「豊田町」と隣町「長門市渋木 大峠(おおとう)」で、地区民の皆さんとの懇親会(夕食 酒宴)を致しました。(小学校の分校・~手作りの食事 ほぼ9割の世帯と契約成立→積立系 30数名参加)確か!これに彼が参加(大野女子社員も一緒)帰り道、筆者の自宅へ立ち寄り、大野さんから、仰天の告白あり(これは何??)

★★ド田舎会長 (時効につき)注釈→ 女子社員の大野さんは、現在「植平」さんです。

後日 その「大垰」のK宅へ(昼食&山村の散策=タケノコ ゼンマイ ワラビ)流れる小川(少し上流に砂防擁壁があった、=数年後に確認)彼は躊躇せずに飲まれました。(申し訳ないことだった、、)他にも(様々な)思い出があります。

☆県内の「主任」~「支社長代理」クラスを 荒木温泉(豊田町)に集めて、勉強会をやりました。(20数名 講師は筆者、どうやれば年金保険が取れるのか!これが議題でした。その時の司会進行MCをされました)

☆松田別館での懇親会=数名(飲みすぎによるミツエさん→酒乱騒動が起きました・・・他)

☆エクセレント旅行(県内入賞代理店)10数名 鹿児島へ 「知覧」「桜島」→あまり覚えていません

一橋大学卒 岐阜支店長(最終)

「児玉進矢」 2019年7月26日 参照(スナップあり)

 

 

3 thoughts on “「児玉進矢」さんの思い出!

  1. 高浦健一

    西市自動車さんと弊社の出会いから歴史、大変興味深く拝読させていただき、改めて感謝~感謝~感謝 です!会長、弊社の諸先輩に教わり学び、精進して参ります。
    外食も含め、会長も精力的に活動されておられ、その若さにも感服です。私も楽しい人生を送れるよう、毎日を大切に過ごしたいと思います。

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  2. 児玉進矢

    ド田舎会長の記憶力、文章力は健在ですね。しかも、忘れて欲しいことばかり良く覚えておいでで、、(笑)。あの頃は会長もお若く、エネルギーの塊のような「経営者兼営業マン」で、私はかけだしの頃に、このような師にお会いできて本当に良かったと思います。
    雨の日に・・・濡れて新規のお客様のところに行けば、決して邪険にされないよ!も 師の教えの一つです。(これも)その後 結構使わせていただきました。それと、嫌なことを言われても顔には出してはいけない!ことも会長から教えてもらいました。感謝です。

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  3. 植平光彦

    読ませていただきました。
    今から振り返ると本当に懐かしい思い出です。出禁になった担当者に代わり、課長であった私が伊藤社長(当時)と ご一緒してお客様のご自宅を出る際に、家の前には小さな「どぶ」(溝)があり、「どぶ板」は玄関の前にしかないことを忘れて、先に車に向かっていた社長を追って、斜めに玄関を飛び出して「どぶ」に落ちたのは私の勲章です。どぶ板を踏む!=どぶ板営業! という言葉がありますが、私は踏むのではなく どぶに落ちたのですから、その後いろいろな局面で、どぶ板を踏んだ、!と誇らしげに話す御仁に対して「君はどぶに落ちたことがあるかい」と尋ねることにしていました。(笑)
    でも伊藤社長(当時)は、優しくて、自分も「肥溜め」(こえだめ)や家の前の「溝」みぞ に落ちたことがあると 慰めていただきつつ、その日に ご自宅で奥様の手料理(お好み焼き)を ご馳走して頂いた のも 忘れえぬ思い出となっています。当時は、本当に一生懸命に企業人として取り組んでおりましたが、こういう年回りになりますと「兵(つわもの)どもが夢のあと」という感を強くしております。

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