大分」カテゴリーアーカイブ

国内旅行「青春18きっぷ」 特集 f-2

2014年9月8日ぶん

(豊後竹田~宮地)「宮地」発 16:04 「肥後大津」行き

大分 – 玉来 間は国鉄の犬飼軽便線(いぬかいけいべんせん。後に犬飼線と改称)として、宮地 – 熊本間は宮地軽便線(みやじけいべんせん。後に宮地線と改称)として、両線とも1914年に開業した。なお現在、南阿蘇鉄道となっている立野 – 高森間も宮地線の支線として開業している。

<筆者:注>「玉来」駅は「豊後竹田」駅の次の(熊本寄り)駅です。

最後の区間である玉来 – 宮地間が開業して大分 – 熊本間が全通したのは1928年で、宮地線・犬飼線を合わせて豊肥本線となった。その際、立野 – 高森間の宮地線の支線は高森線となった。

阿蘇・竹田などの多雨な山間部を通っているため、集中豪雨や土砂災害などの災害が発生しやすく、そのたびに数か月から災害の規模によっては1年以上も不通となることもある。1990年7月2日の集中豪雨では緒方 – 宮地間が不通となり、復旧に1年3か月を要した。1993年9月2日の台風13号では三重町 – 豊後清川間が不通になり、全線復旧まで8か月を要した。2004年9月に三重町 – 豊後清川間の百枝トンネルが土砂崩壊により不通となり、12月の復旧までバスによる代行輸送を行った。2012年7月12日の九州北部豪雨では緒方 – 肥後大津間の各所で土砂流入・築堤崩壊・橋梁流出などの災害が発生した。

緒方 – 豊後竹田間および宮地 – 肥後大津間は同年9月3日までに順次復旧し、被害の大きかった豊後竹田 – 宮地間は、同年8月20日より代行輸送(同日から9月2日まではジャンボタクシーによる代行輸送、9月3日より七城観光バス・大野竹田バス・亀の井バス(湯布院営業所)等によるバス代行輸送)を行っていたが、翌2013年8月4日に復旧し運転を再開した。復旧にあたって、被害を受けた区間では路盤やトンネルが強化され、九州北部豪雨と同程度の雨が降っても耐えられる物となった。(9月8日)

国内旅行「青春18きっぷ」 特集 f-1

2014年9月6日~7日ぶん

「青春18きっぷ」  (埴生~大分)

少し日にちが経過しましたが、本日より6連載で、「青春18きっぷ」スナップ第3弾をお送りします。駐車場の関係で、「埴生」がスタートとなりました。早朝5時48分発~「下関」6:14着「下関」6:16発 大分行き普通電車  「大分」 9:03着
「大分」で、「豊後竹田」行き12:13発まで時間があるので、温泉に出かけようと「大分駅観光案内所」に出向きました。近場に「サマ・サマ」温泉センターがあることがわかり、バスにて行きました(駅から3つ目)。10時オープンで2番目の客となりました。お湯が「ヒスイ色」をしており、中々の温泉(沸かしている)でした。(新川天然温泉)(9月6日)

(大分~豊後竹田)=豊肥本線
「青春18きっぷ」の旅は、一日¥2370で普通列車・乗り放題の魅力です。(苦笑)「大分」12:13発 「豊後竹田」13:30着 ここでストップ、折り返し運転。熊本方面には、14:25発の「宮地」行きを待つしかありません。(なお、九州横断特急は、別府~熊本~人吉を運行していますが、青春キップでは乗車できません。一日3~4往復?)

大分市より「豊肥本線」に乗り換えます。・豊=豊後(ぶんご)・肥=肥後(ひご)昔の国名ですね!豊後=大分地方 肥後=熊本地方 大分県と熊本県を結ぶ「九州横断鉄道」が「豊肥本線」です。「豊後竹田」(ぶんごたけた)竹田=たけた 「滝廉太郎」の作曲した「荒城の月」=岡城址 で有名であります(別名:豊後竹田城)。(作詞=土井晩翠 宮城県仙台生まれ)仙台城跡に胸像や「荒城の月」碑文があるとのこと。「滝廉太郎」は東京生まれですが、官僚だった父の勤務地の関係で、幼い頃に竹田に住んでいたとのことです。
★筆者は「岡城址」には一度見学したことがあります。(当然、バス旅行でしたが、、)豊後竹田駅からは約3キロありますので、歩くのはどうか?タクシーで¥700~750くらい、往復でも¥1500ですね。観光客の方が良く利用されるそうです。(9月7日)

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「児玉進矢」さんから頂戴したコメントです。
 2022年10月28日ぶん

イギリスには古い街並みがあります。その最たる場所はコッツウォルズでしょう。イングランド中央部になだらかな丘陵地が延々と広がっていて、一見すると北海道の富良野や美瑛地方に瓜二つの田園地域があり、その辺りを総称してコッツウォルズ地方と呼んでいます。そこには大小様々な集落が点在し、それぞれに個性的な街並みを形成していますが、共通しているのはハチミツ色のレンガで家や塀が作られていることです。

おそらく中世の頃に建てられたものでしょうから、築後数百年の建屋です。鉄骨や鉄筋が入っているわけでもなく、「3匹の子豚」の童話に出てくるようなレンガを積み上げただけのシロモノが立派に現存しています。まあ、日本のように地震や台風が来たら即全壊でしょうが、この土地にはそういう自然災害がないのでしょうね。

それにしても、です。もっと近代的で快適な建物に住みたいと思った人も多いことでしょうが、昔ながらの家を修繕しながら代々に亘り住み続け、街並みの美しい景観を維持してきた人々の努力には頭が下がります。きっと日本の白川郷の住民と同じで、祖先から引き継いできた歴史や文化の守り人という意識がそうさせるのでしょうね。

ところで、ここでもイギリスらしいものを発見しました、、、パブです。どんな小さな集落でも教会とパブは必ずあるんですね。商店などはなくてもパブだけは不思議とあるんです。何はなくともイギリス人はぬるいビタービールを片手に口角泡を飛ばしてきたのでしょう。さすがに白川郷には赤提灯はありませんからね。