イギリスからみた「幕末長州藩」 講師 (田口由香)氏  大島商船高等専門学校  准教授

演題「イギリスからみた、幕末長州藩」 ↓ 講話中に記したのでご了解を、、 
「亀山八幡宮」2Fにて 下関夜話会 第388回 8月17日10時~11時半
主催「下関東部の文化財を見直す会」

★豊田町から2名 伊藤涌二⇒ド田舎会長 & 藤本貴司⇒西市公民館長&殿敷区長  参加者おおよそ50名 (帰り際)筆者高校の同級生にバッタリ(野尻臣孝)君

ーーーー

「マルチ・アーカイヴァル・アプローチ」国外の「外交文書」などからの日本の歴史を研究する!いわば 複数の外交文書から日本を探る(ことらしい)

世界地図における「日本」の位置は?(ヨーロッパの世界地図)⇒極東 一番右の端

1868年(明治元年)平成30年は 明治維新から150年
英国⇒「自由貿易帝国主義」
日本の幕末 → 「産業革命」→ 軍事・防衛の必要性から
長州藩は「攘夷派」なのか?「開国派」なのか?⇒当初は「攘夷」徐々に「開国」へ

1853年  ペリー浦賀来航
1863年  長州ファイブ(密航留学)
ユナイテッド・イングランド= Kingdom of Great Britain
周布政之助→攘夷のアトに、自ら積極的に開国へ向かう=将来的な開国を想定
攘夷から 開国へ舵を切る
1863年 ロンドンに「地下鉄」が開業(アンダーグラウンド)
長州ファイブ 驚く UCL=ロンドンカレッジに記念碑)University College London
 →伊藤俊輔 井上聞多 野村弥吉 遠藤謹助 山尾庸三

「下関戦争」は、報復攻撃か?⇒単なる報復攻撃では無い!
 ⇒優位な軍事力誇示の成功(英国)
 英国に長州砲あり(下関砲台=前田~壇ノ浦ほか)⇒イギリス軍持ち帰り(英国王立大砲博物館)
 ★下関海峡(関門海峡)の詳細な地図あり(この時代の測量技術に驚愕)
欧米に対抗する(強い)「国家」作りを目指した。(長州は)それに成功した!
植民地にならなかった!その要因⇒木戸孝允(桂小五郎) 井上馨(聞多) 井上勝(野村弥吉) 伊藤博文(俊輔) 山県有朋(狂介) などなどの働き

==============

プロフィール ↓ ネットから

大島商船高等専門学校准教授 田口 由香 氏

出身
1976年 山口県下関市生まれ

主な経歴
・下関市立大学経済学部経済学科卒
・広島大学大学院教育学研究科(学術博士)
・山口県史編さん室 明治維新部会専門委員

主な編著書
2009年
「高杉晋作 上海渡航から奇兵隊結成へ」
『幕末維新人物新論』笹部昌利編(昭和堂)
2008年
「文久二年藩是転換までの長州藩の動向」
『山口県史研究』第16号
2006年
「木戸孝允」他
『図説萩・長門の歴史』樹下明紀編(郷土出版社)
2015年
「薩長同盟締結と桂小五郎」
『歴史読本』(KADOKAWA) 3月号

 

2 thoughts on “イギリスからみた「幕末長州藩」 講師 (田口由香)氏  大島商船高等専門学校  准教授

  1. Takashi

    昨日の講演お世話になりました。
    内容はとても良かったです。維新から150年、「長州藩」側の目線でものを見がちです。
    先生は渡英して関係資料を集めておられ、「下関戦争」当時の「関門海峡地図」、占領されて「砲台地図」などのレプリカも作成されていましたが、当時イギリスが関門海峡を重要航路として精巧な測量図を作っていたことがよく分かりました。またイギリスには「大砲博物館」があり、下関から戦利品として持ち帰った「長州砲」が保存されていました。国内に残っていたら太平洋戦争の鉄製品供出で跡形もなくなっていたでしょう。
    長州藩が下関海峡で攘夷決行し、外国船砲撃と同じ頃、長州藩は「長州ファイブ」と呼ばれる五人の若者をイギリスに密航させています。
    「高杉晋作」が幕府視察団で上海に行き、植民地化されて行く様子を目の当たりしていること、「長州ファイブ」が地下鉄の走るイギリスに渡り、欧米列強の近代化を知り帰国した!ことなどが、欧米諸国に立ち向かうことに多いに役立ったと思った次第です。

    返信
  2. 矢野公皓

    下関海峡(関門海峡)の地図。一か月位前にNHKで放送していました。1866年にフランスで作られたようですが限られた情報での作成、すごいですね。

    返信

Takashi へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。