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「藤本貴司」さんから頂戴したコメントです。      その 33

「藤本貴司」さんから頂戴したコメントです。
   2018年8月29日ぶん

今から17年前、旧長府博物館で「三吉慎蔵と坂本龍馬」という展示会があり、行きました。展示物の中には京都の博物館から貸出された、坂本龍馬暗殺(1867)の京都「近江屋」の血染め掛軸がありました。

「三吉慎蔵」長府藩士(長州藩士) は藩命を受け、「坂本龍馬」の警護役として京都「寺田屋」に龍馬と二人でいたところ、(薩長同盟成立後ですが)(1866年1月)龍馬襲撃に遭遇、龍馬は手を負傷、寺田屋のお龍さんの機転によって、二人は奇跡的に寺田屋を脱出、途中「龍馬」を隠し「慎蔵」が「薩摩藩邸」へ駆け込み、救出されました。龍馬は薩摩藩邸で療養して、「小松帯刀」や「西郷吉之助」の勧めでお龍さんとともに霧島温泉へ(傷の治療)、「日本最初の新婚旅行」と言われています。霧島神宮に行くと二人の顔部分が空いた撮影絵看板があります。何年か前に行きました。
その後、翌年龍馬はお龍さんを長府に知り合いに託し、三吉慎蔵に “ 龍馬万一の時は頼む ” と言って、京都に行き、そのまま「寺田屋」で暗殺されたのです。
暗殺後、慎蔵はお龍さんを高知の坂本家まで送り届けました。
長府博物館には、慎蔵が寺田屋で龍馬を救出した功績で、藩主から賜った刀も展示されていました。
龍馬が「薩長同盟」に大きな役割を果たしたことは、ほぼ、知られていますが、三吉慎蔵のことや、龍馬夫婦がしばらく下関で生活したことは、案外と知られていないような気がします。

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 2023年1月5日ぶん

こんばんは、山口新聞連載「ゆうびんの父(前島密、1円切手の肖像画の方)」物語を毎日興味深く読んでいます。今日の内容は、前島密(当時の名前は、房五郎が)夜間飲み過ぎて、先輩何礼之(が のりゆき)と2人英会話で話しながら歩いているところを突然襲われ(襲った相手が)「土佐藩岡田以蔵じゃ毛唐のの話しするのは誰じゃ」というところで明日の新聞に続きがどうなるかさらに興味深いです。
前島密は、1862年頃長崎で立教大学創始者のイギリス人から英語を(幕府の政策でオランダ語学ぶも幕末に通用しないとわかり)勉強。
岡田以蔵(1838~1865)は、幕末「人斬り以蔵」と呼ばれた人物、さてどうなるか?