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「井上 想」君からの手紙 ➂(原文のまま 転写・掲載 1~9ページ ぶん)

二時間の音楽のクラスの後は、家庭で十分に栄養も取れていない子が多いので、果物や栄養価の高いおやつを出すようにしています。(家庭環境によっては ご両親におみやげとして持たせて帰ります。)                                         村でこのような活動を十年続け、ようやく文化や礼節の芽のようなものが 村で着実に育まれているのを実感しています。またもう週の二日は  盲人学校へ行き、やはり二十人近い子供たちの音楽教育をしています。障害児教育がやっと始まったばかりのネパールでは 盲人の子がプロの音楽家に訓練受けさせるという試みは唯一のものです。これも無給でやっているので、続けられる限り続けたいですし、近い将来 この子供たちの中から素晴らしい歌手が生まれそうな兆しが既に見て取れます。(五ページ目)

この盲人学校は 大学生までしか住むことができず、折角 音楽でプロを目指す子どもも止むなく故郷や親せきの所に引き取られるケースが多く、彼らとわれわれの音楽学校の寮(全3室)に引き取るか、近くに住み  学べるための家賃の補助を始めたいと考えています。また、我々の音楽活動の他、素晴らしい将来有望な音楽家、美術家、演劇俳優の活動を応援する活動もしていて、彼らに演奏会や展覧会を企画し助成したりしています。これらの活動は 我々のコンサートで得られる収入と国内外の生徒さんの稽古代で成り立っています。(六ページ目) ~~(続く)~~

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カネコテツヤのブログより(原文のまま 参照)↓

井上想(ドゥルパド声楽)

幼少より神社の神事芸能を学び、横笛奏者として活動。インドで出会った笛の響きに衝撃を受け、2003 年よりバーンスリー奏者、中川博志氏に師事。

ラーガ音楽の核心部、アーラープ(伝統 に基づく即興演奏)の深層に迫るべく、インドに残る最古の伝統音楽ドゥルパドを学 びに 2008 年渡印。グンデーチャ・ブラザーズに声楽を師事し、インド各地での演奏を始める。

現在、活動拠点をネパール・カトマンドゥに移し、師匠の命を受け、2016 年に音楽学校 Dhrupad Gurukul Kathmandu を設立。

同輩の Vishal Bhattarai と共に盲学校の 生徒や小さな子どもたちなど、これまで本物の伝統音楽が届かなかった場でドゥルパドを教えている。

また、世界各地から音の追求者たちが 次々と学びに訪れ、多くの生徒と生活を共にし、「ドゥルパドと生きる」修行を続けている。

ネパール人の音楽家や、伝統音楽に目 覚めた若者たちからも支持を受け、指導を仰ぐ人は絶えない。

多民族国家であるネパールで、村の子どもたちを分け隔てなく集め門戸を開き、音楽クラスを毎週行う。

それらの活動は貧しい村人たちにより支えられ、継続している。

スペイン、アメリカ、インド、ネパール、日本 などで演奏やワークショップを続けている

「井上 想」君からの手紙 ➁(原文のまま・転写・掲載 1~9ページ ぶん)

ネパールでは、ドゥルパド音楽がインド大陸各国に共通するクラシック音楽の基礎になっているので、この音楽の将来、そして この音楽を学ぶことによって 子どもに与えるであろう大きな影響を考えて  細々と塾のように、周りの関心ある人に音楽を教える活動を始めました。この音楽の演奏者が希少なこともあって  欧米からも生徒が我々に教わりに来るように成りました。2016年には インドの師匠より音楽学校の分校に正式に認定され のれん分けをされた形となりました。インド国外のドゥルパドの正式な音楽学校は 唯一ここだけです。(3ページ目)

正式に伝統音楽を保存し継承する音楽学校として ネパール政府にも登録されました。伝統音楽の継承は インド・ネパールでは 一部の音楽家系の者が、カースト制度の上位のバラモン階級に限定されていたので、我々はあらゆる民族とあらゆる階級の子供たちが クラシック音楽を学べるように学校を開放しました。

このような千年来の階級差別によって、貧困や無知や暴力がはびこる社会に 芸術がもたらされたことによって、人間の本能的な感覚や優しさを取り戻し 礼儀正しい人間が育たれると信じています。週二日の子どもクラスは 学費無料で 近所の25人の子どもが 小さい子は3才から教わりに来ています。(4ページ目) ~~(続く)~~