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JET STREAM(音楽のある風景)から ㈱燈音舎     NO・39

☆ナレーション『ブーゲンビリア』  :城達也

気づけばブーゲンビリアの生け垣の側で、夕陽に頬を染めて日が暮れる
落日を追って小舟が沖を目指し、漁を終えたカヌーは岸へ急いでいる
鳥たちも森の巣へ戻っていくのだ
夕空の色が褪めて、黒い木立の間に揺れるトウチの火が赤くなる
あとには眩しい思い出が、森の奥で
夜目にも月下美人となって咲くだろう
それではもう一度、アローハ
あなたのハワイがいつまでも思い出に残りますように、、

◎ある愛の詩  /  フランシス・レイ

『楽曲解説』

1970年のアメリカ映画『ある愛の詩』の主題曲で、フランシス・レイが作曲しました。つまりここで聴くのは作者の自作自演というわけです。音楽も小説も純愛ものが大ブームになりましたが、その口火を切ったのがこの作品と言えます。“純愛とは決して後悔しないこと”と言うフレーズが、この甘美なメロディーにピッタリです。ただこの曲がイタリア映画『ベニスの愛』によく似ている、とちょっとした騒ぎになったのを思い出します。

▼ソラメンテ・ウナ・ベス  / カーメン・キャバレロ

『楽曲解説』

1941年にメキシコのアグスティン・ララが作曲しました。曲名の意味は“ただ一度だけ”で、生涯にただ一度だけ得ることができた素晴らしい恋を喜ぶ女性の気持ちが、美しいボレロ・リズムで描かれてゆきます。作者のララは“南米のガーシュウィン”と言われるほど奇麗な曲が多いのですが、この曲は中でも彼の代表作品と言えるのではないでしょうか。

ド田舎会長「傑作?ブログ コメント」   ➈

2016年3月22日ぶん

俳人「松尾芭蕉」は “ 隠密 ”=忍者説 ? 紀行文「奥の細道」の謎とは?

★昨夜の「BS-TBS」 22:00放送 「奥の細道」の「松尾芭蕉」隠密説! 案外そうかも?と(筆者も)思いました。皆様、この番組、ご覧になられましたか!以前から(かすかに)そんな話(隠密説)を聞いたことがありましたが、改めて知ることとなりました。(過去にも、映画?テレビドラマ?などで、紹介されているようですが、、)発掘された様々な証拠から、隠密説の確率は高いようですね!

隠密説 ↓ 
45歳の芭蕉による『おくのほそ道』の旅程は六百里(2400キロ)にのぼり、一日十数里もの山谷跋渉もある。これは当時のこの年齢としては大変な健脚でありスピードである。 これに18歳の時に服部半蔵の従兄弟にあたる保田采女(藤堂采女)の一族である藤堂新七郎の息子に仕えたということが合わさって「芭蕉忍者説」が生まれた。

また、この日程も非常に異様である。黒羽で13泊、須賀川では7泊して仙台藩に入ったが、出発の際に「松島の月まづ心にかかりて」と絶賛した松島では1句も詠まずに1泊して通過している。この異様な行程は、仙台藩の内部を調べる機会をうかがっているためだとされる[31]。『曾良旅日記』には、仙台藩の軍事要塞といわれる瑞巌寺、藩の商業港・石巻港を執拗に見物したことが記されている(曾良は幕府の任務を課せられ、そのカモフラージュとして芭蕉の旅に同行したともいわれている。

↓ 引用

①伊賀の下級武士の出身だった事
伊賀の上級武士は藩主の藤堂家がよそから連れてきた武士の子孫だったが、下級武士は元々の伊賀者であった。

②資金の出所がよくわからない
松尾芭蕉は江戸に出て名前が売れるとプロの俳諧師になって副業を持たなかったにもかかわらず、奥の細道などの旅の資金などに困った様子が無いので、幕府の援助を受けていたのではないかという説

③奥の細道に不審な点が幾つもある点
奥の細道の旅では途中の移動速度が異常に早く、忍の歩行術を使ったのではといわれる。
これに加えて熱望していた松島の観光は通過するかのような速さで終えたのに何も無い山中の村で数日過ごしたり、仙台で他国者が立ち入り禁止な区域に立ち入ったりしている。
また、この旅に連れていった河合曾良という弟子は、この時はどうだったか判らないが後年幕府隠密として活躍した。

①については芭蕉は伊賀者だったのは確かですが、若い頃は藤堂家(分家)に使えた武士でしたから幕府の配下ではありません。
これをもって幕府隠密とするのは無理があります。
②と③について、当時こうした職業の人が大切にしたのが地方のパトロン(資金提供者)です。
地方の有力者が江戸に出て来た時に弟子にして、旅のついでに訪問(もちろん行くことは知らせておく)して滞在し、技を披露したり講義を行う代わりに資金提供を受けるというのが常道でした。
すなわち、仙台藩の有力者がパトロンだったり、仙台あたりで弟子(パトロン)に紹介された弟子志望者(新しいパトロン)を山の中に訪ねて、滞在するなんてことも仕事の一部であり、パトロンにとっては「江戸の偉い師匠がわざわざ訪ねてくるほどの弟子」という箔が付くというメリットがあるわけです。
つまり、旅じたいが資金繰りになっているというシステムなのです。

芭蕉の歩行速度が速かったのは伊賀者の子孫で忍の歩行術を知っていたからかもしれません。
しかし、それは芭蕉が忍者の子孫である証明であって幕府隠密であった証拠にはなりません。

最後の曾良が本物の隠密だったという話は本当で、これは否定しようがありません。
ただし、彼が幕府隠密になったのは記録上は奥の細道から20年後の事です。

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「藤本貴司」さんから頂戴したコメントです。
   2023年1月31日ぶん

こんばんは、月日の経つのが早くなりました。1月も今日で終わり、明日から あっという間に過ぎ去る2月です。
さて山口新聞連載「ゆうびんの父(前島密物語)」のその後、現在連載の前後は主人公が薩摩藩洋学校「開成所」講師に招かれた維新前夜の1865年頃、薩摩藩講師となったものの 当時の薩摩藩は「蛤御門の変」で長州と敵対状態、前島は日本が内戦状態になると侵略諸外国の思うままになると心配しますが、当時の薩摩藩は 関ケ原からの倒幕の思いは強くあるものの 藩内に出入り者を厳しく制限していて、前島の動きは封じられていました。そんな時、故郷「越後」の母から一通の手紙が届きます。そこで今日の物語は終了でした。さて、どのような展開に?
副題は「前島という姓(1))」、これから前島密になる物語が始まるか?
節分過ぎて早く寒波が収まるよう思う毎日です。