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「井上 想」君からの手紙 ④(原文のまま 転写・掲載 1~9ページ ぶん)

ネパール政府と共同して活動する提案を、数年来  何度もして来ましたが、汚職国家のネパールでは 官僚たちに文化への興味や素晴らしい芸術の振興への関心は皆無で 頓挫を繰り返してきました。                                          その代わりに、拙者に無期限の労働者ビザを発給してくれました。我々のような零細音楽学校の校長として  外国人にビザが発給された例はなく、これだけでも活動は後押しされました。おじさまに援助を不躾にお願いしたのは  以上のような活動をさらに強化してゆきたいからなのです。肝心なことは、今日も自分の芸術を鍛錬してゆくこと。そして、消滅が迫っているインド大陸の千年来の智恵が集積され秘蔵された芸術のドゥルパドを 次世代に確実に渡してゆくこと。(7ページ目)

拙者はドゥルパドに伝えられた音の知識と情報は、間もなく世界の遺産に成ると確信しているので、自分は師匠に  伝道者として期待もされていたので、(師匠は2019年に逝去)演奏に呼ばれるのを待っていては、もうあまりに残された時間は少なく、自分からもっと世界に赴いて、その価値を評価して欲しいと思っています。井上想が強くなれば、芸術にそしてその波及効果として インド ネパールの差別社会や「人間  金を稼いで死ぬだけ」という退廃的な生き方や  子ども達への希望にも 大きく影響を与えることが出来るので どうかおじさまのお力を借して下さい。(8ページ目)

拙者の泣けなしの収入は すべて音楽の明日の為に消えてゆきます。蓄財など想像できたこともありません。しかし今をこうして生きている間は、よりよい音のために そして そのよりよい音が回り回って社会を変え、人の感じ方や思想に影響を与え歴史を変えてゆきます。今回は叶いませんでしたが、おじさまには  生の音の振動を感じていただき その真贋を見抜いていただきたいと思います。乱筆乱文お許しください。世界を変える音のために  どうか おじさまの力を貸してください。お願い申し上げます。~~(終わり)

二〇二三年七月三日                                    井上 想 (9ページ目)

 

「井上 想」君からの手紙 ➂(原文のまま 転写・掲載 1~9ページ ぶん)

二時間の音楽のクラスの後は、家庭で十分に栄養も取れていない子が多いので、果物や栄養価の高いおやつを出すようにしています。(家庭環境によっては ご両親におみやげとして持たせて帰ります。)                                         村でこのような活動を十年続け、ようやく文化や礼節の芽のようなものが 村で着実に育まれているのを実感しています。またもう週の二日は  盲人学校へ行き、やはり二十人近い子供たちの音楽教育をしています。障害児教育がやっと始まったばかりのネパールでは 盲人の子がプロの音楽家に訓練受けさせるという試みは唯一のものです。これも無給でやっているので、続けられる限り続けたいですし、近い将来 この子供たちの中から素晴らしい歌手が生まれそうな兆しが既に見て取れます。(五ページ目)

この盲人学校は 大学生までしか住むことができず、折角 音楽でプロを目指す子どもも止むなく故郷や親せきの所に引き取られるケースが多く、彼らとわれわれの音楽学校の寮(全3室)に引き取るか、近くに住み  学べるための家賃の補助を始めたいと考えています。また、我々の音楽活動の他、素晴らしい将来有望な音楽家、美術家、演劇俳優の活動を応援する活動もしていて、彼らに演奏会や展覧会を企画し助成したりしています。これらの活動は 我々のコンサートで得られる収入と国内外の生徒さんの稽古代で成り立っています。(六ページ目) ~~(続く)~~

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カネコテツヤのブログより(原文のまま 参照)↓

井上想(ドゥルパド声楽)

幼少より神社の神事芸能を学び、横笛奏者として活動。インドで出会った笛の響きに衝撃を受け、2003 年よりバーンスリー奏者、中川博志氏に師事。

ラーガ音楽の核心部、アーラープ(伝統 に基づく即興演奏)の深層に迫るべく、インドに残る最古の伝統音楽ドゥルパドを学 びに 2008 年渡印。グンデーチャ・ブラザーズに声楽を師事し、インド各地での演奏を始める。

現在、活動拠点をネパール・カトマンドゥに移し、師匠の命を受け、2016 年に音楽学校 Dhrupad Gurukul Kathmandu を設立。

同輩の Vishal Bhattarai と共に盲学校の 生徒や小さな子どもたちなど、これまで本物の伝統音楽が届かなかった場でドゥルパドを教えている。

また、世界各地から音の追求者たちが 次々と学びに訪れ、多くの生徒と生活を共にし、「ドゥルパドと生きる」修行を続けている。

ネパール人の音楽家や、伝統音楽に目 覚めた若者たちからも支持を受け、指導を仰ぐ人は絶えない。

多民族国家であるネパールで、村の子どもたちを分け隔てなく集め門戸を開き、音楽クラスを毎週行う。

それらの活動は貧しい村人たちにより支えられ、継続している。

スペイン、アメリカ、インド、ネパール、日本 などで演奏やワークショップを続けている