日別アーカイブ: 2013年12月8日

ベルベル・ソル  (筆者、学生時代の 思い出?)  『人生哲学』 其の五

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《独り言1》 先日(徳山市で)開催された「隅修三」さん「東京海上ホールディングス㈱会長」の講演を聞いて、(何となく)自分の大学時代のことが思い出されてきました。18歳から22歳の頃ですから、既にかなりの昔のことですね。先ほど、ブログ内検索(旧サイト:ド田舎会長ブログ)にて「西南学院大学」を検索し、自らのコメントを見ておりました。結構な数がありました。それでも、肝心な処は(やはり)コメントしていないですねえ!書けないのでしょう!やはり、、。

・それでも、少しだけ思い出してみましょう。一つ目、西南学院大学経済学部(入学当初は商学部:経済学科)は、国立一期校の「長崎大学」教育学部小学校課程:受験(数学ゼロ点でX) の滑り止めで受けました。近場の大学に行け!との親父さんの一言でした。高校の同級生は、関東~関西の大学が殆んどでした。実際は(自分には)遠くに行きたい気持ちは皆無、マダマダ親離れしていなかった?のでしょう。どこかに ‘田舎に帰って?’云々 それはありませんでした。跡目を継ぐ兄貴がおりましたから、お金を貯めて ‘一旗揚げようか!‘ そんなほのかな野心はありましたが、、、

・現役で「西南学院大学」に入学、それも合格発表の2/22には(掲示板に)受験番号はありませんでした(定員200名に数千人?倍率は10数倍)試験は良く出来たのですが、まあガックリでした。九州大学1年に在学中の兄(九州大:硬式庭球部:主将 ㈱熊谷組 ゼミ推薦?無試験 で入社)が発表を見に行って、呆れて帰った?ことを、後日聞かされました。それが4/1に「補欠合格」の知らせが来たのです。高校(下関西)の時も、僅か5点差での合格、大学も補欠の入学、同級生には言ったことはありませんが、まあ、常にギリギリのラインを突破して来たのであります。何であれ、これで(Iyana)受験勉強から開放される!その意味からもホッとしたことを覚えています。

・隅修三さんの学生時代は、多分、明けても暮れても、体育系のボート部でしょうから、東京六大学のインカレや大学対抗戦(レガッタなど)気持ちは(試合に)勝つことばかり、勉強を真面目にする学生では無かった!(本人の弁)ことも良く理解できます。入学して1年2年は、それはそれは真面目に「硬式庭球部」練習一色の生活でしたねえ。授業は単位を落とさないように計算し、その辺りは実に要領よく、必須科目は確実に「可」狙いでパスしました。授業もほぼ「テニス」服装一式、午後からは徹底して鍛えられました。(筆者ブログ内検索で、詳しくコメントしております。)

・コメントをしていない処、まず、車の運転免許をクラス一番に取りに行ったことでしょう。マダマダ、学生の分際で(自家用車を)持つ時代ではなく、実家に大型トラックや小型三輪車そして大型バイクなどありましたから、帰省のたびに ‘乗ってやろう!’ と言う魂胆があったのです。日中の授業、午後のテニス部の練習など、入部したばかりの新人には、そもそも無茶苦茶な行動(免許を取る)なんですね。運転免許だけではなく、アルバイトも禁止、賭け事も厳禁(早い話が マージャンなど、上級生は真面目)それから ♀♀ の付き合いも厳禁でした。(内密に、ご法度破りはいましたよ!)お酒とタバコは不問、4年間一生懸命練習しておれば、まあまあの会社に就職できる!(アトで判ったことですが、レギュラーの位置、そして主将や副主将、ランキングの上位などは、ゼミの推薦があったそう、、銀行や大手に就職していた)そんなことは全く気にも留めず、先輩の目をNusuんで、かなり規則(ご法度)を破りましたねえ。多分、部の(全ての)相場を(遂に)狂わした張本人(Senpei)は、自分だったかも?知れません。

・3年生に入ってから、諸々な??を覚え、おまけに肝心なテニスの腕前は上達せず(当然!)後輩から次々と抜かれていきました。その勢い?がアルバイト(ほぼ社員並みの仕事)に覚醒し、言わば親からの仕送りを受け、自分ではその数倍ものOkaneを稼ぎだしたのであります。極秘では、一部融通したり、Kake????では連戦連勝でありました。(当然!)会社からの社有車はあるし、(当時としては)上位のアパートに住むようになりました。すでに半分?社会人でもありました。テニス部は休眠状態、それでも同期生は大事にしてくれたのです。今思えば、テニスは中途半端、勉学(成績)もビリの方、どうしょうもない大学生なんですね。金銭的には(当時)優位(当然)でしたが、、、結果的に「就職活動」には縁が無く、アルバイト先に居座ってしまったのです。そして、何と!何と!社会人(僅か!)1ヶ月目に、社長と意見が衝突、田舎に帰ることになったのであります。(当時、大卒の初任給は1万5千円くらい、仕送りはジャスト1万円、学生時代のアルバイト料(実際は給料、2万5千円+新車販売手当て別)帰省したときは(通帳には)80万円強の蓄えがあったのです。(現在の価値は、その10倍?でしょうか?)この預金は24歳の時(結婚式の費用で、お袋さんに没収?いや渡した?)ゼロとなったのです。