月別アーカイブ: 2013年12月

11月のおみやげ c   社会人になって③ (親父さんのこと)『人生哲学』 其の九

★ 昨日から「熊本県」と「大分県」の県境にまたがる「杖立観光ホテル:ひぜんや」に投宿しています。夫婦二人だけの、お忍び旅行であります。苦笑 ナビつきの「軽四」で来ましたが、通常のルート(九州道~大分道)を通らず、中津市~耶馬溪~日田市経由で来ました。11時半に出発し、何と!到着は16時20分、ゆっくり~ゆっくりした軽四のTabiであります。ホテルの部屋は8F、この階は(どうも?)我々だけのような?平日の悪天候(大雨)ですからね!館内は100名前後の台湾(中華民国)からのお客様で、結構忙しそう、、、風邪の burikaesi が怖い、ここは温泉地ですが、思いっきり温泉入浴のハシゴ?、さて?どうしましょうか! 後日、スナップなどお送りします。
< ホテルのチケットは、家内の誕生日のお祝いとして、長男夫婦からのプレゼントでした。有効期限が接近しているため急きょ利用することに、、>

12_12_02

12_12_03

《独り言1》現在、「ひぜんや」フロントロビー(5F)備え付けのパソコンから発信しています。見たところ「中国製」ですね!Lenoboのマークがありますから、、(先ほどから)後方から聞こえてくる会話、全て中国語=台湾からのお客様です(全くわかりません)。当ホテルには、台湾出身の女性スタッフ数名(研修生か?若い女性、日本語が流暢)が常駐しています。先ほど、夕食が終わりましたが、出ましたねえ!沢山~沢山!15品以上、その中で「馬刺し」特に“タテガミ?コーネ?襟足?”言わば「首の脂身」の部位、(超珍味!)初めて頂戴しました。全ての料理、結局、茶碗蒸し~お吸い物~デザート~茶そば などなど、手をつけられませんでした。後日、「吉祥の湯」=露天風呂 のスナップとともに、詳細をお送りしましょう。

《独り言2》『人生哲学』其の九。親と子の関係、コメントの難しい題材であります。筆者の親父さんは、明治39年生まれ、確か?昭和52年9月4日(日曜日)狩猟事故にてsokusi!73歳でした。(イノシシ猟にて仲間に誤射されたもの、日曜日の正午のテレビニュースで知り、現場の山林の入り口で、手板=ていた に乗せられた亡骸=なきがら を見ました。)日ごろから会話は少なく、少々 Kenーaku な関係でしたから、ご先祖的~親子的な伝承など皆無でありました。言わば、後姿以外、ほとんど教授を受けていなかったのですね。(当時)葬式の参列者は、おおよそ1200名以上、これも豊田町では記録でしょうか!(商工会長や猟友会長、町議会のBossなどでしたから、、、)

・筆者のオトコ兄弟は3人、筆者の戸籍上は四男、知らない兄2名は幼くして死亡(長男は5歳で赤痢、次男はSizan)母親が生んだ子どもは9人か?現存の兄弟姉妹は6名であります。(ほとんど)笑わない~怖くて難しい親父さんでした。「明治法律専門学校」=明治大学法学部の前身(関東大震災で学校は壊滅、結局、中退と聞いています。) へ進学した為、田舎にしては教育熱心でした。筆者が幼いころは、よく仕事(材木業)に連れて行ってもらいました。駐車していた6トンのトラックの運転席に座り、それが動いて(サイドブレーキが甘く、チエンジ・ギアーがニュートラルに?少し下り!)そのまま突っ込んだり、エンジンキーをまわして(エンジン始動、ギアーが入っていて)ぶつけた!のは、全て筆者の仕業であります。全て(3歳~5歳のころ)

家から12キロ離れた処から (深夜トラック運転席から降りて)家まで帰ろうとして8キロ先で地元の人に捕獲=保護された!のも筆者であります。
成長と共に、大型バイク1000ccをこっそり出して乗ったり、乗用車を直結して乗り回し知らん顔!)これも筆者(面白かった)全て時効であります。
この親父さんの死亡が、(弊社が)損害保険の代理店にシフトして行った根拠のひとつでもあるのです。言わば、掛け金数千円の保険料で、2500万円の死亡保険金(ハンター保険)が支払われたからですね!

《独り言2》筆者:早々の帰省は(都会生活の落伍者)当初、親父さんは喜んでいたものの、自分勝手~好き放題、まともに家に帰らず、思い通りにならない。徐々に関係はAkkaしていきました。それなりの自動車販売など結果は残していましたが、諸々、それ以上のこと(品行よろしく~優秀な社会人~勤勉・親孝行)の期待をかけていたのでしょう。実際は親父さんの意のままにはならず、遂に「勘当書」を手渡されました。まあ、男の子が3人いますからねえ!次を期待したわけであります。きっかけは、家の建て方にありました。言わば、工場の敷地内に小さな自宅を建てようとした!ことでした。遂に怒りましたねえ!中学校の2年生の時に、テレビばかり観ていて、‘ 試験が一番に成ったからeeじゃろう ‘’=初めての実力テスト一番! と口答えしたところ、よほど?虫の居所が悪かったのか(本人は、すぐそばで仲間と????していたのに、、筆者が邪魔だったか?)ぶん殴られました!母親が止めに入るほど(ひどく)、短気でしたねえ!そのUramiは(それからも)永く引きずっていましたが、それ以来の激怒でしたねえ。喜んだのは弟、これで天下が取れる!のだと思ったそうです。その弟もその後家出(3年後帰ってきた)(話は終わらないので、続きは又の機会に、、、)

~< 杖立観光ホテル:ひぜんや > のロビーに設置されている中国製パソコン~キーボードからお送りしました。ロビーでは、相変わらず、多くの台湾のお客様が懇談中です。日本人の姿は皆無、どこか?外国に居る気分であります。編集パスワードを入れると編集機能がオン!なお、全館(室内も)無線ランは無料であります。

11月のおみやげ b   社会人になって②(結婚~家内のこと) 『人生哲学』 其の八

12_11_01

12_11_03

12_11_04

《独り言1》 この「ド田舎会長」ブログ、どこと無く「自伝」?的~「回顧録」?的な様相を呈してきました。もうすぐ68歳も終わり、順調に行けば、70歳の大台に突入します。まあ、(頭が)MATOMOなうちに、自伝らしきことをコメントするのも一興であります。よろしくお付き合いの程、お願い致します。

・(大学在学中の)バイトの年数は別として、僅か!1ヶ月で生まれ故郷(ド田舎)に引っ込みました。いや、名誉ある帰郷であります。少々早かった凱旋ですが、当然と言えば当然、これもまた運命でしょう。福岡では色々と????ありました。24歳になって結婚願望が急速に出てきました。(早い話が、決まった ♀ が欲しかった?だけのこと、結婚後のことなど全く考えておりませんでした。) 我々の結婚はズバリ ‘お見合い’ によるものです。筆者は2度目、家内の方は聞いたことがありません。( ♂ 関連は全くしゃべりません)筆者は24歳、家内は22歳でありました。現在の風潮からすると、かなり早いのかも?、、、短大を出て、就職したての彼女、1年6ヶ月~7ヶ月目にお見合いであります。かわいそうに、、

・彼女は心配人さん(お世話人)の顔を立てる?ため、嫌々来たようでした。筆者も(まあ)見合いをしないと貰い手がない ♀、大した ♀ は来ないだろう?とタカをくくっておりました。彼女の方が遅れてきました。瞬間、おとなしそうな ♀ だなあ?この子はMOTEないな?そんな印象を覚えています(実際はその逆、怖いですよ!)。彼女の(アトでの)弁によると、KITANAI ♂、ピエロみたいで、♀ にもてない可愛そうな男(ヤツ)!北京原人か!と思ったそうであります。昨日の「第六感」ではありませんが、自分の未知の世界の ♀ でしたねえ!少しばかり付き合ってみてみようか?地味で質素、薄化粧、口数も少なく、心配人さんの顔もあるし、、、、筆者のボロ車(ダイハツ・スパイダー=オープンカー)に乗せて、2時間ばかり(当ても無く)走りました。彼女は(ずいぶん)腹を立てて、途中で降りてしまいました。(当然)その後、黙ってhiroって送り届けましたが、、、翌日、お断りのtelが入りました。

・双方の両親は、4人とも大反対、(当方側=商売には向かない、やめとき、、、お尻が小さい=子供が生めるか?)(彼女側= ♀ TARASI、品行が悪そうだ、、すぐuwakiをする)まあ、通常ならこれでお終いであります。この難局を切り開いたのは(紛れも無く)筆者の第六感?であります。こんな「高慢ちき」な ♀ の鼻柱をへし折って見せよう。どこと無くmonoにする意欲が湧いてきたのであります。それから(ほぼ)毎日(一方的に)仕事が終了する時刻(夕方5時)、彼女の会社内=入り口に待機であります。現代風で言えば、ストーカーそのもの?であります。不思議なことに(嫌々ながら)彼女は出てきたのであります。何か?興味があったのでしょうか?それから約1ヶ月間、確実に毎日欠かさず説得に出かけました。(ここまで、、)

《独り言2》 貯めていた貯金は全部お袋さんに渡しました。結婚式は地元公民館、披露宴は昼と夜の2回を二週続けて(合計4回、地元の旅館にて)、全部で450名のお客様、これは案外豊田町の記録では、、親父さんの全盛期でしたから、選挙(町議会議員)で常時トップグループでした、、主だった弊社のお客様にお声がけしました。(当時の町内の戸数は2500戸)それから毎年子供が出来て、45年出産 47年出産 50年出産 途中(soUZANとsizAnがありました)48㌔の体重は39㌔まで落ち、出産と子育てでボロボロでしたねえ。産後のヒダチも良くなくて、べったり医者通い、大変な ♂ と一緒になったのです。大変申しわけありませんでした(もう遅い!)

《独り言3》 末っ子(若社長)が小学校に入ると同時に(彼女は)仕事に就きました。敢えて一番難しい「生命保険の外務員」に入社させました。筆者の片腕にする為、鍛えてもらう!為、それより前に、体を元気にする為!が一番の狙いでありました。出産と育児ばかりで体の調子が狂っていましたから、、それと2馬力の収入も目的でありました。このあたりも筆者の「第六感」?であります。彼女のお父上は(当時)JA厚狭の課長職、生命共済:推進では有名なお父上でありましたから、同じ性格に期待したのです。苦労して苦労して、結局(弊社に来るまで)大手生保に15年間も勤め上げました。後半は筆者の給料を越しており、自宅のローン~子供教育費(授業料など)彼女の成果であります。そして遂に、「東京海上日動グループ」が生命保険を始めて3年目から、弊社の一員となり、今日まで驀進しているのです。まさか?がまさか!東京海上が生保をするなんて?まるで預言者みたいでしょう!現在14年連続(全国入賞中) 今、15年連続入賞目ざして、目の色が変わっております。3月末まで、残り約30件の新規契約が必要となります。(~23:59)

___________

人生哲学 とは? (ネットから、、引用しました。)

人生哲学の意義

人生哲学とは、「生きていくための拠り所とする考え方、方針」である。なぜこのような方針が必要かというと、日常生活で暮らしているうちに、自分を見失ってしまうことが多いからである。

ビジネスマンであれば、ビジネスの世界に浸っているうちに、それが世界のすべてであると誤解してしまう。純粋無垢な人間として生まれ、幼少、青春時代を送っても、すでに出来上がっている現在の社会システムに組み込まれ、その中で生活してきたため、その社会が前提としている色眼鏡、あるいはパラダイムでもって、世界を見ているわけである

しかし、これはどのように世界を見るかということに関する一つの眼鏡に過ぎない。これが真実を真実として見ることを時として妨げるわけである。

社会で一般的に言われていること、世間体などが正しいわけではない。人生哲学は、社会では一般的なことに、盲目的に自分を合わせてしまって、有意義な人生を送れなくなってしまうことを防ぐのである。

この世に生まれてきた以上、本当に自分が後悔しないような生き方の指針を、できるだけ自分で考えて、記しておくのである。つまり、社会に染まってしまうこと、流されて生きてしまわないために人生哲学が必要なのである。自分はこうやって生きていくのだという方針を書いておく。そして自分を見失わないように、この人生哲学を常に心にとどめておけるようにするのである。

自分の価値基準

この世の中に「絶対に正しい」ということはない。だから、自分なりに、何が正しいのか、何が価値があるのかについて考え、それなりの答えのようなものを出し、それを基準に自分が正しいと思うことを信じて生きていく必要がある。

いろんな事項に関して、それが正しいのか正しくないのか。あるいは善いことなのか悪いことなのか、価値のあることなのか、価値のないことなのか、を判断できる根本となる基準を自分として用意しておくのである。

もっとも根本となるものは、自分の人生経験を通じて蓄積されたものの結果である。もちろん、一つの社会の中でくらしているのであるから、その価値基準もなんらかのパラダイムに影響を受けたものであるであろう。しかし、できるだけそういうものに惑わされないように努力して観察し、洞察し、こういった基準を作り上げていくのである。

その努力がこの基準を年とともにより善いものにしていくことと思うし、基準が根本的に変わってしまう事件も今後ありうるかもしれない。しかし、このように自分で作り上げ、それなりに自信のある価値基準で持って、自分が正しいと思うことを信じて生きていれば、他人の批判などはそんなに気にする必要はない