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海外「思い出」マカオ-a

マカオの「思い出」をお送りします。自分の海外旅行のいちばん最初が「香港~マカオ」旅行なんですね。1970年(昭和45年1月)山口ダイハツ販売㈱の旅行でした(24~25歳 独身の頃)。海外旅行が初めてで、背広にネクタイ姿でした。マカオには日帰り(香港~マカオ 船定期便)にて、香港旅行の ついで の感じ、あまりよく覚えていません。マカオには(結果的に)5回以上は訪問しています。

〇香港が「英国」 〇マカオが「ポルトガル」の 植民地でしたから(自分は)、歴史の証人の1人かも?しれません。二度目の時(地元の商工会青年部の有志)10名くらいで、自分が段取りをして「マカオ」での宿泊!の旅行をしました。まだまだ現在とは異なり、街全体が薄暗くて、物騒な感じを覚えています(安宿)。☆ホテル・リズボアにも行きました 

☆マカオは、1999年中国へ返還  「特別行政区」となり、家内と二人で行ったり、色々なグループで行きましたね。まあ、コメントをしきれませんが、思い出としては(そうですねぇ~) 〇セナド広場 〇聖ポール天主堂跡 がいちばんでしょうか! 案外と 〇「聖フランシスコ・ザビエル教会」(コタイの端っこ) そして 〇「マカオの丘」を散策したことでしょうね!

家内とマカオ(街中や観光地)を歩いたり、市内バスに乗ったり(アチコチ)していましたら、小さな ケーブルカー があって、丘に登りました。(丘には)誰もいませんでしたが、そのケーブルカーの主力エンジンが(登り口)、日産サニーの乗用車のエンジンだったのです。こんなことに気付くのは、自分だけでしょう。丘の上には超古い発電機もありました(苦笑)

まあ、観光地的なことは、ネットで判りますから(ネットではわからないこと)ペナン島の 〇「ペナンヒル」 そして 〇「マカオの丘」それぞれ(当時は)植民地です。ペナン島=マレーシァ は「英国」 マカオは「ポルトガル」の植民地、どちらにもケーブルカーがあるのです。電力事情の乏しいころ、すでにケーブルカーが動いていたのです

(ペナン島)車台の下部に、タンクを作り、(水を)入れたり出したりして上がり降りした「最初の客車」が置いてありました。  マカオは「水力発電」で電気を確保、ケーブルカーの電力を作ったとか!記述がありました。

この水力発電ですが、マレーシァの「ゲンティン・ハイランド」(1700㍍)も、その電力を水力発電で作ったと記述(説明書がありました。)まあ、山頂の開発の前に、中腹から水脈を見つけ、それを落としてタービンを回し、作った電力で大工事を行う、、まあ、こんな按配でしょう。日本が「江戸時代」の頃に、(ヨーロッパでは)既に自動車があったり、蒸気機関車があったり、蒸気船があったり、「ヨーロッパ~アメリカ」はこんな処、日本とのすべてのギャップに驚くばかり、こんなところが実に面白いですね!

マカオ 続きます、、

==========水力発電の歴史(ネットより)↓

水車を回して製粉や紡績を行なう「水車小屋」は、大昔からありました。しかし、それを発電に応用するようになったのは、19世紀に入ってからです。産業用の水力発電機の原理、つまり車輪を回転させて電気エネルギーを発生させる「ダイナモ」は、フランスの技術者のヒポライト・ピクシーが1832年(天保3年)に発明しました。その後、19世紀後半になって水力を利用した水力発電所が建設されるようになりました。

========蒸気船の歴史(ネットより)↓

世界最初の実用的な蒸気船は、1783年にフランス人であるクロード・フランソワ・ドロテ・ジュフロワ・ダバン ( Claude-Francois-Dorothee, marquis de Jouffroy d’Abbans)によって作られた。

1788年2月1日に、アイザック・ブリッグスとウィリアム・ロングストリートによって、蒸気船の特許は取得されている。1791年にはアメリカでジョン・フィッチらが蒸気船の特許を得ている。しかし、ロバート・フルトンが、1809年2月11日に改良設計した特許を取得し、商業的に成功した。

ロバート・フルトンは、外輪式蒸気船「クラーモント号」を開発し、1807年8月17日ハドソン川で乗客を乗せた試運転に成功したことでも知られている。このため、一般には(実用的な乗り物としての)蒸気船を発明したのはフルトンだという印象が定着している。

========自動車の歴史(ネットから)↓

自動車は、18世紀に蒸気機関を用いた蒸気自動車として登場し、19世紀にはイギリスやフランスで都市間を移動するためのバスに用いられるようになっていた。19世紀後半、1870年代から1880年代にかけてはオーストリアやドイツでガソリンの内燃機関を用いた自動車の制作や特許取得が行われた。

 

「海外旅行」での 失敗談 D

自分は好奇心が旺盛なんでしょう。海外旅行(もちろん観光旅行ですが、、)よく行きました。正確には覚えていませんが、60回以上でしょう。その半数以上は「ご褒美」旅行(主としてダイハツ工業の 招待旅行ですね)車の販売店は、決められた年間の目標台数をクリアーすると、必ず海外旅行なんです(毎回2名)。

記憶は定かではありませんが、海外 訪問国ですが、、

〇「韓国」12(ソウル 慶州 釜山 済州島 インチョン) 〇「中国」3(上海 重慶 武漢 三峡下り)  〇「台湾」6(台北 台中 台南 花蓮 九份)  〇「香港~マカオ」5  〇「シンガポール」3  〇「マレーシア」5( ペナン クアラ・ルンプール ゲンティン・ハイランド)  〇「タイ」2(バンコク  アユタヤ カンチャナブリ チェンマイ) 〇「ベトナム」2(ハノイ ハロン湾)  〇「ハワイ」3(マウイ島 ハワイ島)  〇「アメリカ本土」15(ラスベガス13 ロサンゼルス3 サンフランシスコ2) 〇「アラブ首長国連邦=UAE」2(ドバイ) 〇豪州 1(ブリスベン  ゴールド・コースト) 〇「バリ島」1(インドネシア) 〇英国 2(ロンドン 湖水地方 オックスフォード 全英オープンゴルフ) その他

最初の海外旅行は、やはり「ダイハツ工業㈱」のメーカー招待旅行でした。(スタートが)1970年(昭和45年)ですから、もう50年前のことになります。「香港」~「マカオ」でした。それから翌年「ハワイ」 まあ、毎年ですから、あちこち よく行かせてもらいました。地元の若者のグループともよく行きました。個人旅行は(ほぼ)家内と一緒ですね!

そうそう、「海外旅行」の失敗談④でした。アメリカの「ラスベガス」ここには10回以上 体験していますから、様々な失敗談があります。その一番は、出たらダメな扉「ショッピング・モール」のドアー開けて出た途端、戻れなくて(外から入れない)、外は真っ暗、数百㍍先(かなり歩いて)明かりを見つけてほっとしたところ、警備員に咎(とが)められ、ホールド・アップ!拳銃を突き付けられたことです。(瞬間)撃たれる!と思いました。

片言で対応しましたが、言い分を聞いてもらえず、ひと悶着、何とか許してもらいました。これは怖かったですねえ!(爆笑もの)家内も一緒!

☆ラスベガスでは、建物の中は素晴らしく明るく広く、申し分ありませんが、その一歩 外は暗黒の世界、(建物は)完璧な「大型倉庫」の様相、これにはびっくりです。現在は(だいぶ)違うかもしれませんが、確か、 〇シーザーズ・パレス   〇フォーラム・ショップス(ショッピング・モール)~  〇ミラージ あたりではなかったかな?と記憶しています。まあ、砂漠の中の「摩天楼」  少し外に出れば砂漠ですからね!

続く、、、