日別アーカイブ: 2021年2月16日

海外「思い出」台湾-a(八田与一)

「台湾」ですが、数回訪れています。一番直近は、3年前ですが、観光バス での移動(台北から台南へ)の時、車内のビデオにて「八田与一」(日本人の農業土木技師)功績のドラマが放映されていました。それまで「台湾」の南部地域(台南)は、水が無くて、耕作には適していなかったのです。結論的に、「八田与一」は、烏山頭ダムを作り、山をくり抜いて(その水を送り)台湾南部を、立派な農業生産地域に変貌させたのです。

☆台湾の歴史(政治的な事)については、詳しくは割愛いたしますが、(ただ)日本の植民地(統治)時代が50年も続いていました。(1895年~1945年)

台湾に行きますと、日本に対しての「好感」を感じますね。教育レベルの向上や産業の発展など、それらの業績に対しての感謝の気持ちであります。「八田与一」に対しては、「台湾」の教科書にも載っており、台湾人の手による「立派なお墓」=ブロンズ像 が建立されているようです。ネットを見ていますと、台湾の人たちが行きたい外国は、60%以上が「日本」だそうです。日本に対する好感度は、ものすごく高いとのこと、、

お墓で思い出しましたが、歌手「テレサテン」のお墓も(台湾に)建てられているようです。また訪問することがあったら、「八田与一」「テレサテン」この二人の墓地を訪れてみたいと思っています。

☆手前味噌な余談ですが、台湾統治時代、「住吉秀松」と言う土建業の 日本人 がいました。「住吉組」を起こして、「鹿島組」と(当時の現地では)肩を並べていた土建屋さんなんです(今風に言えば、中堅ゼネコン、、ネットには詳しく載っています。今でもその功績が偲ばれている、、台湾消防の父、、自宅の保存が最近決まった!)この秀松じいちゃんの長男に「育三」がいました。最後の「住吉組」を継いだのですが、何と!何と!その嫁さん(静子)が、筆者の父親の(嘉雄)お姉ちゃんの娘なんですね!(姉が4人?いたそうです)☆太魯閣渓谷の案内表示板に「住吉組」の名前がありました。

日本が戦争に負け、すべてを台湾に置いて帰ったそうで、かなりもったいない話ですが、自分が中学生の頃、広島でこのおばちゃんに会いました。(それと)東京荻窪の自宅を訪問した際、既に逝去されおり、育三さんには会いました。(既に逝去)

台湾の「思い出」真面目に、、  続きます、、