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海外「思い出」台湾-a(八田与一)

「台湾」ですが、数回訪れています。一番直近は、3年前ですが、観光バス での移動(台北から台南へ)の時、車内のビデオにて「八田与一」(日本人の農業土木技師)功績のドラマが放映されていました。それまで「台湾」の南部地域(台南)は、水が無くて、耕作には適していなかったのです。結論的に、「八田与一」は、烏山頭ダムを作り、山をくり抜いて(その水を送り)台湾南部を、立派な農業生産地域に変貌させたのです。

☆台湾の歴史(政治的な事)については、詳しくは割愛いたしますが、(ただ)日本の “統治” 時代が50年も続いていました。(1895年~1945年)

台湾に行きますと、日本に対しての「好感」を感じますね。教育レベルの向上や産業の発展など、それらの業績に対しての感謝の気持ちであります。「八田与一」に対しては、「台湾」の教科書にも載っており、台湾人の手による「立派なお墓」=ブロンズ像 が建立されているようです。ネットを見ていますと、台湾の人たちが行きたい外国は、60%以上が「日本」だそうです。日本に対する好感度は、ものすごく高いとのこと、、

お墓で思い出しましたが、歌手「テレサテン」のお墓も(台湾に)建てられているようです。また訪問することがあったら、「八田与一」「テレサテン」この二人の墓地を訪れてみたいと思っています。

☆手前味噌な余談ですが、台湾統治時代、「住吉秀松」と言う土建業の 日本人 がいました。「住吉組」を起こして、「鹿島組」と(当時の現地では)肩を並べていた土建屋さんなんです(今風に言えば、中堅ゼネコン、、ネットには詳しく載っています。今でもその功績が偲ばれている、、台湾消防の父、、自宅の保存が最近決まった! この秀松じいちゃんの長男に「勇三」がいました。最後の「住吉組」を継いだのですが、何と!何と!その奥さん(静子)が、筆者(ド田舎会長)の父親の(嘉雄)お姉ちゃんの娘なんですね!(姉が4人?いたそうです)☆太魯閣渓谷の案内表示板に「住吉組」の名前がありました。

日本が戦争に負け、すべてを台湾に置いて帰ったそうで、かなりもったいない話ですが、自分が中学生の頃、広島でこのおばちゃんに会いました。(それと)東京都杉並区荻窪の自宅を訪問した際、既に逝去されおり、「住吉勇三」さんには会いました。(現在 既に逝去)

台湾の「思い出」真面目に、、  続きます、、

海外「思い出」タイ(カンチャナブリ)

タイにも行きました。確か、3~4回だと思います。ダイハツ工業㈱の旅行が二回、地元の有志で2回です。一番の思い出は、映画「戦場にかける橋」あの「クワイ川マーチ」で有名になった処、そこが「カンチャナブリ」なんですね!

現実の風景は映画とは異なりますが、「泰緬鉄道」(たいめん)の線路、クワイ川(クウェー川)の鉄橋を歩きました。映画では、亜熱帯雨林の中を木造で橋を架けますが、現実は(時は過ぎて)そんな森林地帯でもなく、まあ面白おかしくされたのでしょう。この辺りまで「日本軍」が来て、英国軍~豪州軍~オランダ軍(連合国側の捕虜)タイ人労務者 ほか を使って鉄道や橋を造った、、そして「栄養失調」「コレラ」「マラリア」などで多数の、、、まあ、とんでもない場所なんですね。いろいろな処に行っていますと、「シンガポール」や「マレーシア」特に「ペナン」そして「オーストラリア」の「ケアンズ」辺りまで我々の先祖の日本軍は来ているんです。☆泰→タイ 緬→ミャンマー(旧ビルマ)

ここ、「タイ」では、〇「アユタヤ遺跡」(巨大な寝仏)にも行きました。アユタヤといえば、「山田長政」がはるか昔(江戸時代 前期)、ここで立派な働きをした、、、ことを思い出しますね。 方角は違いますが →  〇パタヤビーチにも行きました。 そうそう、バンコクから航空機で →  〇「チェンマイ」にも行きましたよ。タイ北部になりますが、山岳民族の集落を訪れました。なんでもここ「チェンマイ」では、有名な歌手の「テレサテン」が、ここで最期を迎えた、、と 聞いています。若くして命を失い、とても かわいそうです。(42歳 気管支喘息 ITAIは台湾へ)

首都「バンコク」は、とても車やバイクが多く、毎度渋滞でしたが、最近 高速道路が出来て それでもまだまだ開発途上ですねえ。地下鉄や、道路網の整備が急がれます。ここは「三期作」ができるところ、「アユタヤ」や「カンチャナブリ」に行く途中、両サイドの農地は、ほとんど水に浸かっていた時がありました。雨期でしょう。それから、農地では(様々な)養殖がされていました。案外「魚」とか?「海老」とか?海のものを陸の中で、養殖しているようです。

☆現地で食べた(本場もの)「トムヤムクン」 美味しかったですよ!