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「古希記念祝賀会」  ①  < 一の俣温泉グランドホテル >

DSC02553 ↑ 祝賀会(終わりごろの)筆者の御礼の挨拶であります。挨拶と言うよりは、自己主張の「演説」口調?まるでアジテーターの風貌ですねえ! DSC02550 ↑ 家内は三人兄弟姉妹です。右側は「村口町子」4歳下の妹です。定年まで「保母」=山陽小野田市職員 趣味は(ひたすら)山登り、「にほん百名山」を(既に)20座近く登頂しているとか!いつも気をつけるように言っております。ご主人は、㈱アリム会長 IMG_1543 ↑ 祝賀会の始まりの頃、同級生代表の挨拶「千葉武彦」氏です。=千葉クリニック院長 (一番最初の)出席者代表の挨拶は「中村稔」氏=元山口銀行西市支店長(S/G:Unv:後輩) でしたが、スナップが巧く撮れておらず、載せることが出来ません。お許しください。 DSC02500 ↑ 若社長の次男「伊藤慶成(よしなり)」です。筆者の願望は、「西市自動車」の跡目(五代目)を期待しています。相当に「ヤンチャ」な Dougen-Bouzu です。ギリギリが二つあるんです。(筆者も二つあります。) DSC02523 ↑ 会の後半にお出しした「和牛ステーキ」です。宮崎牛かも?実に柔らかく、津森料理長に感謝! ↓  普段のお料理(宴席など)には(まず)出ない、「タイのアラダキ」です。残念ながら、筆者は食べておりませんが、かなり美味しかった!と評価を頂きました。 DSC02528

★お約束どおり、(本日より)六日連載にて「古希記念祝賀会」(一の俣温泉グランドホテル)の模様をお伝えします。なお、スナップの順番は Gucya-gucya であります。筆者の「古希風・感性」にて載せてみました。お許しください。 《独り言》既にバレバレとなったので、コメントしますが、(現在)筆者の顔面は、悲惨な面体(メンテイ)となっております。お医者さんには行っておりませんが、鼻の下は「ヒトラー風」鼻ヒゲ(縦2センチ幅1センチ弱)、右あご回りは「黒ナマコ」(直径3センチ強)右頬は、横2センチの刀キズ風?ですね(メガネのフレームによる)。(見えない口の中、下歯ぐきは紫色に変色)通常、これだけの醜メンテイであれば(マスクで)隠すのでしょうが、マスクが嫌いなので(そのまま)会社へ、、昨日バレバレです。 ・この怪我の原因は、深夜0時前(急にレンタカーの返還にお客様が来られ、自宅まで送ろうと慌てて)、真っ暗な中(水道を止める際)ホースに足を引っ掛けて前のめりになり、ブロック角に顔面から突入したものです。相手がブロック(高さ80センチの塀)ですから(まあ)これで終わりか!と瞬間思いましたね。(ズボンの右側はびしょ濡れ)目から火がでる?火は出ませんでしたが、顔面の出血は凄いですね。タオルが真っ赤になりました。傷口はハミ焼酎で消毒!(大爆笑1) ・(これは)3日前の日曜日の深夜のことです。あくる日は、それほどバレませんでしたが、日にちが経つとかなりの醜状顔面となりました(血が固まると黒くなります)。それを見て、ほとんどの人が、目を「しかめ」ましたねえ。ただ一人だけ大笑いした人がいましたが、(筆者がいた時間帯9時~11時、13時~15時の間)来られた取引先の面々は ①中川君(東京海上日動) ②村田君(ムラタ金物)③ウー君(オートパーツ幸城)④大城夫妻(BPボデー)⑤生月君(山口ダイハツ)(お客様へは手で隠しました)最後の最後に(笑われたので、遂に)自宅に帰り、お風呂に入って床に就きましたが、今度は右足ひざ内側がうずいてきて、泣きそうになりましたよ。(大爆笑2)

「古希を祝う会」 c  < 一の俣温泉観光ホテル >

 

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《独り言1》三日連載にて(東京海上日動グループによる)筆者の「古希を祝う会」のスナップをお送りしました。よくよく考えてみると、この‘古希の会’ の頃、「髙浦健一」下関支社長、そして「岡村直樹」支社長代理の「転勤」は未発表でした。時期的には無理もありません。下関支社の在任期間からすると、ボチボチだなあ!と推察はしておりました。今思えば、「お別れ会=送別会にもなったのですね。3月5日に(発令)異動がオープンとなったその日、ご両人からも(ご丁重なる)お電話を頂きました。髙浦さんは(本店)「営業開発部企画グループ」(課長)、岡村さんは「本店営業三部営業一課」(課長代理)が新しい赴任先とのことです。

・弊社は東京海上の代理店になって27年目になりますが(1998年から)、ほぼ「全国大会感謝状贈呈式に(入賞)」出席してきました。ある一定の(厳しい)入賞基準をクリアーしての参加です。最初の12年間は(ほとんど)自動車保険を主体とした「一般種目」での入賞でした。2000年からは、「生命保険」における部門でした。この点(古希を祝う会)も(辛い現実ですが)どこと無く重たい「ある引導」?を渡されたような気がいたします。全国大会への入賞は、狙わないと出来ません。特に「一般種目」においては、単なる数字(挙績=契約の成績)だけでは、不可能です。それなりの計画と周到な準備がないとクリアー出来ないのですね、、、

《独り言2》(当たり前のことですが)年齢を重ねますと(当然)老いてきます。ある時点では(必ず)「世代交代」をしなければなりません。弊社は(案外と巧く)事業継承が出来た方であります。跡目がおらずお店を Tatamu 処が多い世の中です。さらに(世間的にも)人口の減少と「事業」の継続が、過疎地では(なおのこと)難しいのです。何とか(知恵を絞って)商人=アキンド の火を灯し続けなければなりません。事業継承は、たとえ親子であっても考え方や手法、言わば「人生観」が異なります。その異なったやり方でも、事業は継続して行かなければならないのです。(弊社のような)零細企業の生き残りは、実に過酷な事業展開なのですね。