日別アーカイブ: 2020年12月7日

運命的な出会い(降臨)!「仙石昇士」さん

仙石昇士さんは、弊社が「東京海上日動火災保険㈱」の損害保険代理店の契約締結をした(当時の)担当課長でした(現在の支社長)。 1987年 昭和62年(山口営業課=当時)初めからの出会いが(あまりにも)強烈すぎて(今でも)鮮明に記憶しています。当時、弊社は Y社 の代理店をしておりました。2社~3社と契約することは、よくあることです。 < 山口営業課→下関支社 >

当時、新人担当者「大庭一治」君が(それこそ)飛び込みで弊社を訪問、13回くらい来られて、諦めかかった最後に「仙石昇士」さん(当時の営業課長)が来社、それも朝いちばん(会社が開くころ)に来られたのです。身なりもそれほどでもなく(よれよれの背広)両肩には白いものがかなり付いていたのを記憶しています。(失礼)(当日、出社せず直接の来社と思われます。)

その後、一日中、弊社におられ(面談~懇談~会食などなど)何と!何と!遂に(筆者の自宅)お泊めすることになりました。深夜遅くまで話し込んだのを覚えています。このことが、今日まで(東京海上日動火災)代理店を続けてこられた(その)スタートだったのです。

振り返ってみても、(あれから すでに)33年経過しており、全国入賞も28回以上も成し遂げ、 (当時としては)微々たる「弱小モーターチャネル代理店」が、現在では、10倍もの(収入保険料)を売り上げる「生損保代理店」に成長するとは、(誰も)推測すら出来なかったと思います。

33年 経っても(ほんとに)数日前のことのように記憶は鮮やか、あまりにも、会った時の印象、その後のすべてが、、自分を(いい意味で)狂わせてきたのです。その後、次から次へと(東海後輩に)バトンタッチされ増幅して行ったことは、言うまでもありません。この「一日の出会い」が「自分と会社の運命」を変えてしまったのです。

「東京海上日動グループ」の代理店になって、アキンドの道を続けられ、3人の子供を大学まで行かせることが出来!自分の心の中では(まあ)神様?が天から「降臨」されたような気分(思い)ですね。ごく最近になって、(一昨年、初めて 東京都目黒区 )ご自宅へ伺うことができました。

☆東京23区内に竹藪(たけやぶ)だらけの大きなお家(おうち) 両手でも回せない(莫大な)大きな木(木の名前は?クスノキ?もみの木?ケヤキ?)͡この辺り かなり昔は、山裾の田舎村だったんでしょうね!(このたび)お家を解体されることを聞きました。元気なうちにやらないと、相続で子供さんが困りますからね!(苦笑)

☆「テクノ倶楽部」(全国大会)出席 東京ディズニーランド

☆「玉造温泉」旅行→下関代理店有志と社員(山陰特急 まつかぜ?)

☆ 宇佐神宮~別府温泉~日田旅行(エクセレント旅行→県内代理店入賞者)

慶応義塾大卒

☆2018年9月13日 ド田舎会長ブログ 参照(スナップあり)