月別アーカイブ: 2022年8月

「児玉進矢」さんからのコメントです 。その⑰

「児玉進矢」さんからのコメントを紹介しています。
  2021年4月28日ぶんです。

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大谷選手が投打二刀流で大活躍ですね。何でもあのベーブルース以来の快挙だとか。日本の野球少年が海を渡り、大リーグで並み居る強打者をキリキリ舞いさせ、特大ホームランをかっ飛ばす、、誠に拍手喝采です。

日本では一つの事に集中して青春を送ったり人生を捧げることが何となく美德とされてきました。しかし最近ではラグビーの福岡選手が医師の資格を取ったり、将棋の船江六段が公認会計士に合格したり、アイドルグループの加藤シゲアキさんが直木賞候補にノミネートされたりと、一つの世界に留まらず二刀流で活躍しているのを見るにつけ、近頃の若者もなかなかやるなぁと感心しています。

では、我ら中高年世代はどうでしょう?私のイチオシは酒場詩人と呼ばれる吉田類さんです。彼は高知生まれで若くしてフランスに渡り絵描きになったのですが、今は全国の酒場を放浪し、地酒を美味しそうに飲み、出てきた郷土料理を美味しそうに食べ、地元の人と会話を楽しみ、興が乗れば踊り、最後に洒脱な俳句をひと捻り。彼の酒場放浪記シリーズは酒飲みの間でベストセラーのようです。絵描き兼作家兼詩人、二刀流ならぬ三刀流のカッコ良いオジサンです。私も一冊、彼の本を手に取ったところそのタイトルが奮っていました。

「酒は人の上に人をつくらず」

本来お酒の席はこうあるべきなんでしょうね。「今日は無礼講で」などど無粋な言い回しはやめて、こらからはこのセリフを拝借することにしました。では、また次回。

↑「児玉進矢」さんからのコメントでした。

「児玉進矢」さんからのコメントです。その⑯

「児玉進矢」さんからのコメントです。2021年3月25日ぶん

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1992年7月、伊藤社長=当時(現在のド田舎会長)との最初の出会いは、その後の波乱に満ちた4年間の下関勤務を予想させるものでした。
当時私は弱冠29歳(現在58歳です)、東京丸の内の本店で新人から7年間の勤務の後、初めての地方勤務という人生の一大イベントを迎え、新たな仕事への不安を若気のいたりと言えば そうとも言える根拠のない自信に無理やり包みこんで、山陽新幹線の新下関駅に降り立ちました。

赴任初日、前任者の運転する車の助手席に乗り込み、まずは小月のホームセンターに立ち寄り、そこで額縁を購入し、進路を北にとり(一路)豊浦郡豊田町を目指しました。菊川町の中心地を抜けると私の視界に牛が飛び込んできました。えっ?牛???それまでの7年間、ほぼ山手線の中で仕事も生活もして、ビルやアスファルトしか見ることのなかった私は、のんびり草を食む牛たちを見た時、一体自分は今ここで何をしているのか、もしかして旅行にきたのか、あの転勤辞令は夢か幻だったのか、、軽い混乱に陥ったのでした。

記憶が正しければ、木屋川沿をどんどん遡り松田別館(この場所もその後、ミツエさんとの波乱の舞台となる)の先の信号を左折して西市自動車に到着。車を降りるなり大型犬にとてつもなく吠えられる(犬に吠えられたのは小学生の頃以来だ)。事務所に入ると正面の奥の一番偉い席に小柄な神秘的女性の佐藤さんがでんと構える(年齢不詳のなかなかチャーミングな人であった)。その前に2つずつ向き合った四つの机があり、末席に坊主頭の修行僧のような島岡さんがいました。犬、佐藤さん、島岡さんのトリプルコンビネーションでもかなりの衝撃であるが、やがて(森から出てきた)野人のような迫力のある一人の中年男性が事務所に入ってきました。そう、これが伊藤社長との出会いでした。前任者は私を紹介すると勝手知ったる家のように裏手の工場に回り、大きな脚立を持ち出し再び事務所に戻り、さっき買った額縁に表彰状を入れると、やおら上着を脱ぎ脚立をよじ登りその表彰状を飾ったのでした。彼は満足そうに「これが担当者の大事な仕事なんです」と笑っていました。私の「出入禁止」という運命はこのときすでに決まっていたのでした・・・

私は児玉進矢。このブログでたまに会長に取り上げていただいている東京海上山口支店の30年ぐらい前の担当者です。今は東京海上日動を退職し、千葉の幕張で国の機関で働いています。これからこんな形で時折り「ド田舎会長の部屋」のブログにお邪魔してみようと思います。

↑「児玉進矢」さんからのコメントです。