「ラスベガス」に戻りましょう。最初に「ラスベガス」に行ったのは、27歳~28歳の頃と思います。大学の同窓会が、「ロサンゼルス」支部の発足式への「参加募集」をしたことが判ったのです。総勢50名以上の団体旅行となりました。立派なツアー旅行です。
問題は、「ロサンゼルス」の(同窓会支部)大会後、オプショナル ツアーが、〇 カナダ 〇 メキシコ 〇 ラスベガス の3方面 だったのです。ぜひ行ってみたかった「ラスベガス」を(旅行前から)申し込んでいたのです。
何と!何と!「ラスベガス」方面は(たったの)二名、自分ともう一人、名前は忘れましたが、お姉さんが結婚して「ラスベガス」にいるとのこと。ご主人は外人、カジノのディラーをしていることが後で判りました。二人だけですから、添乗員さんはつきません。往復のチケットだけもらって、出発しました。僅か1泊のみの小旅行です。初日は二人で行動したものの、夜は別れて一人旅、、、深夜遅くまで うろちょろ、ホテルに帰ったのが深夜でした。
朝、無事起きられるかどうか?何とか、モーニングコールを頼んでいたので、無事出発できました。ベガス空港で相方に再会、「何とか、ロサンゼルス」空港まで帰ってきました。ちょっと不安でした。「カナダ」と「メキシコ」に行った連中の姿が全くなかったのです。約束した場所に待つこと1時間半、ゾロゾロと帰ってきました。
「ラスベガス」最初(一回目)の訪問でした。確か?宿泊ホテルは?忘れましたねえ!サーカス・サーカス だったかも??(ホテル) まだまだ、ラスベガスは発展途上、4コーナー(MGM や ニューヨーク・ニューヨーク)も出来ておらず、47年前の話ですから、だいぶ忘れましたが、ダウンタウンの方面に行ったり、色々なホテルを見て回ったり、肝心のカジノは ほとんど しませんでした。何かの映画で見た、夜でも明るいストリート(ダウンタウン)の写真がありますが、今思えば、行ったと思います。その後、40数年間で、ことあるたびに「ラスベガス」を訪問(遊びに)行きました。数えると10回以上は行っていますねえ!(大苦笑)
〇家内と二人(3回くらい) 〇山口ダイハツ㈱ 〇家内と 姉 妹の四人、〇ダイハツ工業㈱ (費用ですが)個人旅行では、4泊6日で、10万ちょっと、(高いときでも15万前後 飛行機代と宿泊費の合計) 〇「マキシム」とか、思い出しました! 〇「サンレモ」この二つはもう無い それから 〇「サーカス・サーカス」→2回
「ストラトス・フィア」1回、 「モンテカルロ」→2回 「MGM」→1回 「ルクソール」→2回 「マンダレイ・ベイ」→1回 「ベラージオ」→1回 でしたか! 13回は、行っていますねえ。
☆現在は 「アリア」 「ウイン」 「ベネチアン」 なんかが有名です。泊まらず 行った処は 「エクスカリバー」 「ニューヨーク・ニューヨーク」 「シーザーズ パレス」 「パリス」 「ミラージ」 「トレージャー・アィランド」 「フラミンゴ」 「リオ・オールスイート」
☆海外旅行は、4月と11月が格安です。何故か?、お安く行けましたよ。泊まらなくても、ホテルを見学~散策、バイキングの食事だけのホテル(バフェイ)途中の通路や屋台など こんなことが面白いのです。
ラスベガス 続きます、、、
大河ドラマ最終回でしたね。明智光秀の三女、細川ガラシャの辞世の句好きですね。《 散りぬべき時知りてこそ世の中の、花も花なれ人も人なれ 》 散る時をわきまえてこそ美しいと言うことに、潔さを感じます。私の性格かも知れませんが、潔さと言う言葉に魅力を感じます。ブログ楽しく読ませて頂いてます。私も海外に行かせて頂きましたが、中国のシンセン以外は全て音楽がらみの演奏会でした。会長他十数名のメンバーと中国青島の世界花博に、下関市の海外派遣公演に行く事になり、準備でかなり盛り上がったことを思い出します。音楽がらみで会長とは随分楽しい時間を共有する事が出来、感謝です、、、