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海外「思い出」ペナン① <ペナンヒル>

マレーシアの「ペナン」(島)ですが、数回訪れています。単純に長女家族が住んでいただけです。まあ、様子を見に行ったようなもの、、配偶者(主人)の海外赴任先が「ペナン」だったのです。現在も継続勤務中、ざっと20年以上になりますね。

(産後の)孫の面倒見や何かで、数回行きましたが、それほど「ペナン」のことは知らないですが、、、。一番は(単独で)ペナン空港からクアラ・ルンプールへ、それから「ゲンティン・ハイランド」へ行ったこと!ですか?(ちょうど行った時期が真夏) 肝心な「ペナン」では、暑くて暑くて、部屋の中で寝てばかり、、(外は35℃以上)観光らしいことはそれほどしていませんが、海側のホテルに泊まったり、近場のあちらこちらは行きました。

一番に記憶に残ること、それは「ペナンヒル」でしょうか!ペナンの歴史は混み入っていますが、「英国」の植民地であったことは事実です。833㍍の山ですから、ここ豊田町の華山(げさん)より少し高いくらい、(多分英国の植民地当時)ここを避暑地として開発したのですね。高い山へ住宅地を造る!発想がスリムで判りやすいです。

(マカオヒルに戻ります)問題は、そこにケーブルカーを造ったことなんです。電力事情の乏しいころ、ほとんど手作業でしょう。まあ、人力で傾斜を作れても、乗り物をどうやって上げたり 下ろしたり、、、経緯を書いた説明書きには、ケーブルカーを3段階に分けて、上げ 下げ 乗り 降り する。ケーブルの底にタンクをこしらえて、その水の重さで下る、空(から)の乗り物は上がる、、、分かるような分からないような動きです。ちゃんと上がり降りできたんでしょうね。初代の古い客車が置いて(ほぼ放置して)ありました。日本にこんな風なケーブルカーはあったでしょうか?☆現在は、スイス製で、スピードも凄いそうです。

☆高い山の中腹に「水脈」を探し出し、それを落下させて「電力」を作る!(これも英国の植民地当時の開発)このような発想が実に明快ですねぇ!(ゲンティンハイランド=マレーシァ)日本では、荷車や馬車の時代、「江戸時代」そのころ「蒸気船」や「蒸気機関車」が(既に)完成していたのです。日本は(永らく)鎖国でした。

この「ペナンヒル」ですが、実は昼間に行ったものですから、夜景のすばらしさは、見損ねました。こと、ペナンに関しては、喋る資格はありません。古くからの街並み、色々な国々の植民地化した足跡が残った、案外と面白い処かも知れません。日本の統治(占領)時期も少し「証拠」がありました!(何とか資料館~博物館)ヨーロッパ各国の歴史の名残、建物は(ほとんど)ヨーロッパ系です!

・マレー系 ・華僑系 ・インド系 船舶の中継地(燃料や食料 水など)の補給基地(東インド会社など)便利な処だったんでしょう。

☆詳しくは存じませんが、外国資本系の会社が、ペナンには結構ありますねえ。マレーシァの3000社以上ある外国企業の 半分は、ペナンと聞いています。そして日系の会社は数百はあるでしょう。調べてはいませんが、かなりの数になるでしょう。日系子会社の駐在トップで、(筆者)長女のご亭主は頑張っているのです。人生の(大人になってから)半分以上が、海外生活ですからね。驚きを通り越して、感服しますねえ!

明日は「ペナン」 フライド・チキン を お伝えします

海外「思い出」マカオ-a

マカオの「思い出」をお送りします。自分の海外旅行のいちばん最初が「香港~マカオ」旅行なんですね。1970年(昭和45年1月)山口ダイハツ販売㈱の旅行でした(24~25歳 独身の頃)。海外旅行が初めてで、背広にネクタイ姿でした。マカオには日帰り(香港~マカオ 船定期便)にて、香港旅行の ついで の感じ、あまりよく覚えていません。マカオには(結果的に)5回以上は訪問しています。

〇香港が「英国」 〇マカオが「ポルトガル」の 植民地でしたから(自分は)、歴史の証人の1人かも?しれません。二度目の時(地元の商工会青年部の有志)10名くらいで、自分が段取りをして「マカオ」での宿泊!の旅行をしました。まだまだ現在とは異なり、街全体が薄暗くて、物騒な感じを覚えています(安宿)。☆ホテル・リズボアにも行きました 

☆マカオは、1999年中国へ返還  「特別行政区」となり、家内と二人で行ったり、色々なグループで行きましたね。まあ、コメントをしきれませんが、思い出としては(そうですねぇ~) 〇セナド広場 〇聖ポール天主堂跡 がいちばんでしょうか! 案外と 〇「聖フランシスコ・ザビエル教会」(コタイの端っこ) そして 〇「マカオの丘」を散策したことでしょうね!

家内とマカオ(街中や観光地)を歩いたり、市内バスに乗ったり(アチコチ)していましたら、小さな ケーブルカー があって、丘に登りました。(丘には)誰もいませんでしたが、そのケーブルカーの主力エンジンが(登り口)、日産サニーの乗用車のエンジンだったのです。こんなことに気付くのは、自分だけでしょう。丘の上には超古い発電機もありました(苦笑)

まあ、観光地的なことは、ネットで判りますから(ネットではわからないこと)ペナン島の 〇「ペナンヒル」 そして 〇「マカオの丘」それぞれ(当時は)植民地です。ペナン島=マレーシァ は「英国」 マカオは「ポルトガル」の植民地、どちらにもケーブルカーがあるのです。電力事情の乏しいころ、すでにケーブルカーが動いていたのです

(ペナン島)車台の下部に、タンクを作り、(水を)入れたり出したりして上がり降りした「最初の客車」が置いてありました。  マカオは「水力発電」で電気を確保、ケーブルカーの電力を作ったとか!記述がありました。

この水力発電ですが、マレーシァの「ゲンティン・ハイランド」(1700㍍)も、その電力を水力発電で作ったと記述(説明書がありました。)まあ、山頂の開発の前に、中腹から水脈を見つけ、それを落としてタービンを回し、作った電力で大工事を行う、、まあ、こんな按配でしょう。日本が「江戸時代」の頃に、(ヨーロッパでは)既に自動車があったり、蒸気機関車があったり、蒸気船があったり、「ヨーロッパ~アメリカ」はこんな処、日本とのすべてのギャップに驚くばかり、こんなところが実に面白いですね!

マカオ 続きます、、

==========水力発電の歴史(ネットより)↓

水車を回して製粉や紡績を行なう「水車小屋」は、大昔からありました。しかし、それを発電に応用するようになったのは、19世紀に入ってからです。産業用の水力発電機の原理、つまり車輪を回転させて電気エネルギーを発生させる「ダイナモ」は、フランスの技術者のヒポライト・ピクシーが1832年(天保3年)に発明しました。その後、19世紀後半になって水力を利用した水力発電所が建設されるようになりました。

========蒸気船の歴史(ネットより)↓

世界最初の実用的な蒸気船は、1783年にフランス人であるクロード・フランソワ・ドロテ・ジュフロワ・ダバン ( Claude-Francois-Dorothee, marquis de Jouffroy d’Abbans)によって作られた。

1788年2月1日に、アイザック・ブリッグスとウィリアム・ロングストリートによって、蒸気船の特許は取得されている。1791年にはアメリカでジョン・フィッチらが蒸気船の特許を得ている。しかし、ロバート・フルトンが、1809年2月11日に改良設計した特許を取得し、商業的に成功した。

ロバート・フルトンは、外輪式蒸気船「クラーモント号」を開発し、1807年8月17日ハドソン川で乗客を乗せた試運転に成功したことでも知られている。このため、一般には(実用的な乗り物としての)蒸気船を発明したのはフルトンだという印象が定着している。

========自動車の歴史(ネットから)↓

自動車は、18世紀に蒸気機関を用いた蒸気自動車として登場し、19世紀にはイギリスやフランスで都市間を移動するためのバスに用いられるようになっていた。19世紀後半、1870年代から1880年代にかけてはオーストリアやドイツでガソリンの内燃機関を用いた自動車の制作や特許取得が行われた。