懐かしい話題を少々 (75年前の話、、)

先ほど、久しぶりに(ほとんど誰も通らない)道路(山道)を通って帰社しました。美祢市からの帰り、小雨が降っており、懐かしい(県道235号線)山道が、どうなっているか?それとゴミの状態確認など、、そこは、美祢市  四郎ケ原から 美祢市豊田前町保々の県道です!

県道と言っても(舗装はしてありますが)普通車がやっと通れる狭い山道、まあ、年間に数回通るかどうか?の(もの凄く)辺ぴな山道(でも県道)、、実はこの路線、自分にとって忘れることのできない山道なんですね!かなり昔のブログでも コメントしたことがあり、ご存じんのユーザーの方もおられるでしょう。

自分が、4歳前後の頃、親父さんの商い(山林の材木の買い付け)に、美祢市豊田前町保々の工藤宅へ付いていったようです。記憶では5・5トンくらいのトラック(一応大型車)で、山林の仲介人さん 運転手さん それに自分の親父さん(パパ や  父ちゃん など 言ったことはほとんどない)Kuso親父、、、(当時は 豊浦郡豊田前町か?)

まあ、兄弟姉妹6人いて(姉3人 オトコ3人の真ん中)、当初一番に良く可愛がられ 最後は全く嫌われて(勘当された、、)いやな怖い嫌いなオヤジでした、、(小学校5年生の時 ぶん殴られました!勉強を全くせず、テレビばかり見ていて、、、親父さんは(友人と)M三昧をしていた、、虫の居所がよほど悪かった??)

この工藤さん宅で、多分夜の8時ころ、車のなかで目を覚まし(置いて行かれた!と子供ながら勝手に解釈?云々)、窓のドア越しに出て、最終的に10数キロ離れた自宅まで帰ろうと、、親父さんたちは、深夜遅くまで探しても見つからず(地元消防団20数人)、あくる日に持ち越してガックリして家に帰ったら、自分はスヤスヤ寝ていたという、、実に奇妙な いや奇跡的な生還だったかもしれない事件だったのです。

どういう訳か、車の窓から降りて、自宅の方向を決断(車の反対方向が明るく感じた、、)、ひたすら10数キロの(トンネルを通るような気持ち)山道を小走りに(足元はゴム草履?お古のボロ着物)  そして途中の豊田前町麻生で、映画帰り(山陽無煙の集会所で映画)の家族に止められ(このころ夜の10時か?)

『坊やどこに行くの?名前は?』と 遂にゲット(捕縛)されたのです。『ニシイチのイトウ!家まで帰るん!』『ニシイチはそっちじゃア無いよ!』そしたら くるっと向きを変えて 又 走り始めたそうです。自宅へ電話される、、どこかの車で母が迎えに、、、

このあたりから(あんまり)記憶が無く、家に着くなり(おなかが空いていて アンパンをほお張り)風呂も入らずに寝てしまった、、、、まあこんな按配で、 結構(この辺り もろもろと) 実によく覚えていて、この山道は40~50年間 結構な回数 通行しています。

美祢市豊田前町は、その当時 山口県豊浦郡豊田前町で 山の向こうは美祢郡東厚保町?か、ヒト山超えた処に「東厚保町小杉」がありますね!あの有名な、(会津の)白虎隊隊士をかくまった 飯沼貞吉(唯一生き残った隊士) (楢崎頼三 が助けた 萩 生まれの長州藩士 養子にここへ)現在は立派な記念碑など出来ています。

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