「藤本貴司」さんからのコメントです。 その⑯

「藤本貴司」さんからのコメントです。
    2018年8月29日ぶん
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今から17年前、旧長府博物館で「三吉慎蔵と坂本龍馬」という展示会があり、行きました。展示物の中には京都の博物館から貸出された、坂本龍馬暗殺(1867)の京都「近江屋」の血染め掛軸がありました。
「三吉慎蔵」長府藩士(長州藩士) は藩命を受け、「坂本龍馬」の警護役として京都「寺田屋」に龍馬と二人でいたところ、(薩長同盟成立後ですが)(1866年1月)龍馬襲撃に遭遇、龍馬は手を負傷、寺田屋のお龍さんの機転によって、二人は奇跡的に寺田屋を脱出、途中「龍馬」を隠し「慎蔵」が「薩摩藩邸」へ駆け込み、救出されました。

龍馬は薩摩藩邸で療養して、「小松帯刀」や「西郷吉之助」の勧めでお龍さんとともに霧島温泉へ(傷の治療)、「日本最初の新婚旅行」と言われています。霧島神宮に行くと二人の顔部分が空いた撮影絵看板があります。何年か前に行きました。
その後、翌年龍馬はお龍さんを長府に知り合いに託し、三吉慎蔵に “ 龍馬万一の時は頼む ” と言って、京都に行き、そのまま「寺田屋」で暗殺されたのです。

暗殺後、慎蔵はお龍さんを高知の坂本家まで送り届けました。
長府博物館には、慎蔵が寺田屋で龍馬を救出した功績で、藩主から賜った刀も展示されていました。
龍馬が「薩長同盟」に大きな役割を果たしたことは、ほぼ、知られていますが、三吉慎蔵のことや、龍馬夫婦がしばらく下関で生活したことは、案外と知られていないような気がします。

↑「藤本貴司」さんからのコメントです。

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