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7月 小旅行 報告⑤  「仙台城址」=伊達政宗

7月15日 「仙台市」を散策しました。その中で一番にビックリしたのは、「仙台城址」いわゆる「青葉城址」ですね。独眼流・政宗(伊達政宗)の威光が、現在なお光り輝いています。東北地方では、仙台は(ある意味で)国家の中心地かも知れません。城址のスケールの凄さには、恐れ入りました。

☆「戊辰戦争」時、仙台藩士が薩長軍の意に従わない(奥羽列藩同盟を結成した)理由が、仙台に来ればよく判ります。戦い方は別としても、武士(士族)としての、資質や精神が、薩長とは全く異なるのでは?とさえ、感じますねえ!武士としての尊厳、戦う為のその真義とは!どちらに正義があるのか?現在なお、譲られない処でしょう。

↓ 「田切誠人」氏 撮影 2019年7月15日

7月 小旅行 報告④ 「世良修蔵」墓参 (宮城県白石市)

7月14日 厚狭発~新山口「のぞみ」にて、東京へ 東京駅で「矢野公哠」氏と合流、東北新幹線にて(一路)蔵王白石に向かいました。ここに長州藩士(奥羽鎮撫総督府下参謀)「世良修蔵」の墓所があるんです。矢野さんは、世良修蔵の傍系子孫ですが、筆者と同じ「下関市豊田町」生まれ、現在は町田市に住んでおられます。

昨年度、戊辰150年忌の節目にあたり、福島市の「長楽寺」にて150年忌の法要が催行されました(50年毎)。宮城県白石市在住の「田切誠人」氏の進言により、(自分は)山口県から唯一この法要に参列しました。その前日、ここ「蔵王白石」に出向き、「世良修蔵」墓所を訪れました。戊辰150年目と言うことで、昨年はかなり綺麗に整備されていました。=白石市福岡蔵本「陣場山」  2019年7月14日 「田切誠人」氏 撮影

宮城県に長州藩士の墓所がある、それもかなり大掛かりな敷地、これまで宮城県もしくは白石市の予算(税金?寄付金?ボランティア等)で保守管理や周辺整備をされてこられたわけですが、素直に考えて(歴史的な墓所?)とは言え、地元の皆々様には、苦渋な決断を迫られることかも知れません。記録的には、当時の政府が宮城県に墓所建立を指示したと思われます。(明治の初め)政治的(時期的)にも薩摩(鹿児島県)~長州(山口県)による統率が続きましたからね!(自分が)10数年前に(最初に)訪れた時と比べて、あるべき表示物が無くなっているようでした。(長州藩最高幹部)「木戸孝允」献灯の表示はそのままありましたが、「明治天皇行幸」云々の表示は見当たりませんでした。☆「招魂碑?」が建立中でした。

《筆者 訂正》 この碑は「昭忠碑」であることが判明しました。さらに、修復建立であることも判りました。令和元年9月23日 完成「除幕式」並びに「慰霊祭」が催されたようです。

素人考えですが、ここに(新たに)「招魂碑?」を建立することにより、「世良修蔵」墓所の維持管理が、し易いように考えられたのでは?と思いました。あくまでも(敵陣である)長州藩士隊長の墓所ですから、山口県の側からも、何らかの方法で、資金提供(寄付金などでも)して、維持管理に協力する時期に来ているのでは!と感じましたね。小さなお墓ではなく、「陣場山」と言う小高い丘を占有している(かなり)広いの墓所ですからね。山口県(庁)としては、想像だにしていないのでは、、、“ そんな予算はありません!” で一笑に付されることでしょう。安倍晋三首相は、ご存知でしょうかねえ?

≪ 参考 ≫ 宮城県は1872年から76年まで「磐前(いわさき)県」でした。墓所建立は当該県と思われます。