「藤本貴司」さんから頂戴したコメントです。

藤本貴司さんから頂戴したコメントです。                           2023年10月17日ぶん

こんばんは、ブログ歴史物は好きなのでコメント致します。
先週10月14日土曜日のNHKテレビ「ブラタモリ」時々みる程度でボヤーと観てました。観ているうちに興味津々、番組は「昭和38年北九州市誕生」のエピソード。昭和38年は私が中学1年生(その頃、西市の中心にスーパー丸市誕生、店頭で「即席コーヒー、ネスカフェ登場」試飲コーナーができ、初めて飲んだインスタントコーヒーの味は忘れられません。

昭和38年の山口国体では 中学校入口で当時の皇太子殿下お出迎え、日の丸旗で歓迎、トイレ休憩で 担任の先生が用足し後の殿下の気分爽快の様子を 後日授業で語る言葉は今も脳裏に焼き付いています。

翌年は東京オリンピック、戦後復興の最中あれもこれも興味津々の日々でした。
当時下関のすぐ隣に百万都市が誕生、子どもながらも(中学生でした)驚いた思い出が残っています。北九州市誕生エピソードが色々紹介される中、当時地元でもない「岩崎弥太郎」と「渋沢栄一」が動いていたことも紹介されました。
さらに歴史的にみると門司、小倉は「豊前」の國、八幡、若松、戸畑は「筑前」の國、国境の町が合併するという一大歴史イベントでもあったようです。

明治の初め、官営製鉄所をどこにつくるか「ほぼ明治中央政府では、門司につくる」ということが決定、そこで動いたのが筑豊炭田を築きあげた経営陣(筑前藩士集団)が八幡に!と動き、当時人口千人程度の農村であった八幡に官営製鉄所がつくられたのです。
番組では、官営八幡製鉄所建設当時の建物が紹介されました。世界遺産になっている事務所建物、今でも使用されている修繕(巨大、明治の初め、まだ日本では鉄骨生産できないため、当時ドイツから輸入した鉄骨を使用して建物建設、輸入した鉄骨をねじれ等修正する修繕工場を製鉄所より先に建設、現在は資材置場として使用、当時のクレーンは現在も稼働している)工場等々、テレビ番組みられた方多いと思います。私がウダウダ言ってもいけません。

さて次かその次のブラタモリは「秋吉台、秋芳洞」と番組予告されていました。どうぞご覧ください。

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