「薩長同盟」を分析? NHK大河ドラマ「西郷どん」

8月26日 NHK大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)は、見ごたえがありました!幕末の歴史に強く惹かれている筆者でさえも、「薩長同盟」(1866年)については(それほど)詳しくはありませんからね!

単純に「蛤御門の変」(禁門の変)=1864年 にて「薩摩軍」と「長州軍」が戦闘し、長州軍は「朝敵」になりました。少々幕末史をかじっている者の知識として、「坂本龍馬」や「中岡慎太郎」=土佐脱藩浪士 が「薩摩」「長州」の間を取り持って「薩長同盟」が成立した!薩摩が長州に「武器弾薬」を、長州は薩摩に「米=こめ」を送る。そこに「坂本龍馬」の働き(仲立ち)がある!まあ、この程度の認識ですね。

超犬猿の藩同士が、どうやって?仲良くなったのか?難解なところです。26日放映の「西郷どん」では「西郷吉之助(隆盛)」や「大久保一蔵(利通)」その他「小松帯刀(たてわき)」(薩摩家老)などが、(長州側に)手を付いて頭を下げる!シーンがありましたね。これには驚きました。おまけに、重要極秘会談に(長州嫌いの)薩摩藩士(部下多数)が なだれ込むことで「西郷吉之助」が頭を下げる(両手をつく)理屈が付きます。このあたりは、実際は無いと思います(創作?でしょう)が、皆さんどのように思われますか?

まあ、お互い両藩の思惑(利害)が一致し(倒幕?新政府を作る 開国へ) 、お互い補い合うことでの「薩長同盟」でしょう。

薩摩の薩が先にありますね!長薩同盟ではありませんね!ここいらが「桂小五郎(木戸孝允)きどたかよし」が、(薩摩側が頭を下げたことに)立ったままで「こりゃあ、長州の負けだな!」とぼやいた(吐き出した)セリフに現れていますね。主導権(勝ち)は「薩摩藩」西郷側にありますね!頭を下げて勝て!負けて勝て!「西郷隆盛」のフトコロの太さ!を現したのでしょう。ドラマの主人公は「西郷隆盛」ですからね。武士の言い分 威厳 面子(メンツ)の話ですから、「西郷どん」と「桂小五郎」とのHARA-GEI(腹芸=腹の中を読みきった!)、結局、最後まで双方とも 頭は下げずに同盟を結んだと(筆者は)思いますがねえ!

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「薩長同盟」の真相につて ↓ ネットより参照

近世の社会・文化と国際関係 / 江戸時代
薩長同盟の理由~なぜ薩摩藩と長州藩が手を結んだのか/西郷隆盛・桂小五郎・坂本竜馬~

当時犬猿の仲にあった薩摩藩と長州藩の間を、坂本龍馬がとりもって同盟を結ばせたという話はあまりにも有名ですが、なぜ薩摩と長州は手をとりあったのでしょうか。
薩摩藩の背景

お互いの利害が一致したからというのが一番の理由です。
当時薩摩藩は、琉球藩との密貿易やイギリスとのつながり(薩英戦争後に仲良くなった)によって財政が潤っており、力が弱まっていた幕府からするとその影響力は脅威そのものでした。そこで幕府は、長州討伐という名目で薩摩藩に長州藩を攻めるよう仕向けたのです。

薩摩藩からすると、ここで長州藩と戦争を行えば、たくさんの犠牲やお金がかかって国力が衰えるのは目に見えています。さらに当時の幕府には、雄藩否定論といって、力のある藩を目の敵にする風潮があったので、長州討伐の後に薩摩藩が標的とされるかもしれない、といった心配もありました。

長州藩と戦争はしたくないけれども、幕府の命令に背いて長州藩との戦争を避ければ、幕府の裏切り者になってしまいます。薩摩藩の中には「日本という国を外国の脅威から守るためには、幕府を倒して新しい仕組みをつくるしかない」と倒幕を進める動きもありましたが、いくら国力があったとはいえ、薩摩藩だけで倒幕を進めるような感じでもない。薩摩藩はそのような状況下にありました。
長州藩の背景

一方で長州藩は、藩の存続に関わる状況にありました。
もともと長州藩は、攘夷を掲げ倒幕運動を展開していました。この倒幕派の先方であった長州藩を倒すことで世間に力をしめそうと考えた徳川幕府は、各藩に長州討伐を命じ、長州藩を追い込んでいきます。(そのリーダーが薩摩藩)

また長州藩は、朝敵(天皇の敵)とされたために武器の購入を禁止されていました。そのために戦う武器すら手にいれることができませんでした。(当時武器を買うためには幕府の許しを得る必要がありました。)

即ち、各藩から攻められることになれば絶体絶命な状況にあったわけです。
両藩の思惑

薩摩藩は戦争をしたくないし、できるなら倒幕をしたい。ただし倒幕運動の表には立ちたくない。長州藩は武器が欲しくて、しかも倒幕をしたい。この両者の思惑が一致したわけです。この盟約によって、薩摩藩は幕府には内緒で長州藩の代わりに武器を購入し、これを長州藩に提供します。つまり薩摩藩は、長州藩が幕府と戦争をする手伝いを行ったわけです。

これによって薩摩藩は長州藩との戦争が回避でき、また幕府に裏切り者とされても、長州藩の影に隠れることができます。そして長州藩は買いたくても買えなかった武器を購入し倒幕運動に専念できます。

事実、長州藩は攻めてきた幕府軍との戦いに勝利しました。この薩長同盟と幕府の敗戦によって、世論は幕府を解体して開国へと傾いていくことになります。

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2 thoughts on “「薩長同盟」を分析? NHK大河ドラマ「西郷どん」

  1. 矢野公晧

    犬猿の仲の薩摩と長州が同盟を結んだがそこに至るまでには、かなりの葛藤があったと思います。薩英戦争、下関戦争で外国の力を知らされていた両藩には、国内問題で争っている次元ではなかっただろうし、他の思惑や利害関係が合致した結果でしょうが、見事な180度転換だと思います。会長のブログにも有ったように、侍は自分の殿や、よほどの上席でない限り、あれ程に頭を下げる事は無いと思います。まして藩を代表しているので、「藩のメンツ」もあり周辺が許さないと思います。(侍は日常の全ての所作において方法が細かく定められていたようで、雨が降っても走らない、など外見を気にする。と、父が言っていました。簡単なところで武士は食わねど高楊枝、がありますが、腹が減っては戦ができぬ、と逆もあるのでよくわからない)私達は歴史で結果がわかっているので真実でもフィクションでも安心して見ることが出来ますが、当時携わった方々はどんな心境だったでしょうか?

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  2. 藤本貴司

    今から17年前、旧長府博物館で「三吉慎蔵と坂本龍馬」という展示会があり、行きました。展示物の中には京都の博物館から貸出された、坂本龍馬暗殺(1867)の京都「近江屋」の血染め掛軸がありました。

    「三吉慎蔵」長府藩士(長州藩士) は藩命を受け、「坂本龍馬」の警護役として京都「寺田屋」に龍馬と二人でいたところ、(薩長同盟成立後ですが)(1866年1月)龍馬襲撃に遭遇、龍馬は手を負傷、寺田屋のお龍さんの機転によって、二人は奇跡的に寺田屋を脱出、途中「龍馬」を隠し「慎蔵」が「薩摩藩邸」へ駆け込み、救出されました。龍馬は薩摩藩邸で療養して、「小松帯刀」や「西郷吉之助」の勧めでお龍さんとともに霧島温泉へ(傷の治療)、「日本最初の新婚旅行」と言われています。霧島神宮に行くと二人の顔部分が空いた撮影絵看板があります。何年か前に行きました。
    その後、翌年龍馬はお龍さんを長府に知り合いに託し、三吉慎蔵に “ 龍馬万一の時は頼む ” と言って、京都に行き、そのまま「寺田屋」で暗殺されたのです。
    暗殺後、慎蔵はお龍さんを高知の坂本家まで送り届けました。
    長府博物館には、慎蔵が寺田屋で龍馬を救出した功績で、藩主から賜った刀も展示されていました。
    龍馬が「薩長同盟」に大きな役割を果たしたことは、ほぼ、知られていますが、三吉慎蔵のことや、龍馬夫婦がしばらく下関で生活したことは、案外と知られていないような気がします。

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