(大盛り) カツカレー  

 

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《独り言》皆様方のお宅では「おこた」=コタツ(炬燵)がありますか?室内での石油ストーブは、「一酸化炭素」中毒 が気になりますし、セントラル・ヒーティング(外設の石油ボイラー)だけでは、室温が上がりません。こうなると、手っ取り早いのが「コタツ」であります。

・コタツに入っていますと、(体は)段々と横になっていきます。ソファがあって目を閉じていると、幼いころからの自宅の「おこた」を思い出しますね。筆者の生家は、昭和43年に解体しましたから既に無く(現在では、下関市役所豊田総合支所が建築中)室内もかなり広く、18畳とか!24畳?とか、とても大きな2階建てでした。築後130年以上は経過しており、最後の頃は雨漏りがひどく、どうしょうもありませんでした。

・古い家での暖房と言えば、「コタツ」と「火鉢=ひばち」だけで、ストーブの記憶はありません。居間に相当する部屋に、大きな~大きな「掘り炬燵=ホリゴタツ」があって(一辺に子供が3人座れる)、家族の全員が身を寄せ合って入っていました(当時兄弟姉妹は5名)。火種は「木炭」ですね!お風呂を焚くときに出来る「消し炭」で火種、そのままズバリの「木炭」でのコタツであります。今思えば、とても危険!極まりなく、当時はそれが当たり前でした。(良く、幼児がやけどをしたとか!聞いたことがあります。)今、目をつぶって、60~55年前のことを(ふと!)思い出しました。時代は変わって、電気コタツであります。火傷(やけど)や、怖いガス中毒の心配も無く、やはり「電気」は大事だなあ!と、つくづく思いました。

・火鉢の火で、パンを焼いたり、お餅を焼いて食べたり、走馬灯のように思い出されます。聞くところによりますと、生家の前に「中野家→庄家」があって、その番頭を永くやっていたとか?その生家も中野家から貰い受けた?とか聞いています。真っ黒な「大黒柱」は(一角が)25~30㌢もあって、解体後の「木組み」の太さは、想像以上でありました。その梁(ハリ)や桁(ケタ)は、結構(お手伝いの皆さんが)持って帰られて、建築部材に使用されています。

・正面間口が10米近くあって、「雑貨屋」風(筆者の頃は、既に材木業関連の物置)ケーブルワイヤやエンジン(発動機)系が沢山おいてありましたが、その奥が事務所&お客様のたまり場(特に猟師仲間=ハンター)、そばに「お客様」との接客部屋(ジャラジャラ仲間)(当然タタミ)その奥の左側が縦長の食堂&台所(10人~15人は、軽く食事が出来ました。(板の間と言っていました)囲炉裏=いろり やかまど(薪で炊く)ズッラッと長い「食器棚」など、今でもしっかり覚えています。

・その奥が「お風呂場」=五右衛門風呂 と「中庭」ここに井戸があって「水汲み」の辛いところです(手押しポンプ&バケツ)。そして「犬小屋」=猟犬数匹、最後が別棟の2階建ての家で、後半はこの2階が「こども勉強部屋」でした。(10畳と8畳)全体的に細長く広い家でしたが、「長い廊下拭き」、「風呂そうじ」~「風呂の水入れ」~「風呂焚きなど」が我々こどもの仕事、犬の餌やりや「雉=キジ」の毛剥きなど、当時は当然のお手伝いでした。(小学校~中学校2年までの昔ばなしです。)

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