弊社、店頭の  “お飾り”  A  < 渡邉慎一さん >

★ 弊社の事務所フロアーに鎮座してある(居る?)お飾り?の数々です。ニ升五合:清酒ビン(中身は?)を初めとして(その歳その歳の)「干支=えと」の置物(今年は午=ウマ)、十日恵比寿神社(博多)の縁起物など、商売繁盛に関するものなら、何でもいらっしゃい!であります。お客さまあっての商売繁盛、いつも綺麗に清掃を心がけ、気持ちの良い事務所~工場を心がけています。今の処、黙々と(町内の)清掃活動を含めて、やっておりますが、体が動くうちは、意地でも綺麗にしていきたいと思っています。

・<二升五合 にしょうごんごう>  一升=ひとます 二升=ふたます  五合=半升=はんじょう   ます(升=増す=益す)ます(升=増=益す)はんじょう(半升=繁盛)  「益々繁盛」
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《独り言1》 昨日の土曜日、会社はお休みですが、「積立保険」満期手続き訪問の約束があって、(午前中)豊北町に出かけました。(昭和の終わりごろから)続きに続いた「積み立て傷害保険」!イチ時期は(総契約件数5年間ベースで)1000件になろうかと言う弊社のドル箱商品でありました(筆者のカンでは、契約高は代理店の規模水準で言うと軽く全国トップクラスだと思っていますが、それだけ〔保険金〕の支払いも多く、これまた全国トップクラスでありましょう)。

・時代の趨勢で、引き受け(契約の締結)が出来なくなり(一部条件=年齢や補償金額など によって引き受け可能もありますが、、)ほとんどが満期手続き後、消滅の憂き目となっております。毎月数十件の満期手続きが到来、その都度(確実に)お客様へ訪問するのです(自書~捺印)。既に契約を開始してから、26年目を迎えております。80%以上が高齢者となり、(非情にも)仕方なく継続をお断りしているのです。まあ、ヒトコトで言うなら????からの撤退は間違いありません。まあ、我々代理店は、与えられた商品の中で、動き~お勧めし、それで生業(ナリワイ)=商い としているわけで、なんらの・・・・・も言えず、こればかりは諦めるしかないのです。

・永い間のお付き合い、永きに渡って築き上げた貴重な人間関係、単なる「高齢者」のご烙印にて、お別れしていくのには、一抹の寂しさ~残念さ がこみ上げ来るのです。実に残念至極!。金銭的にも(案外と)高齢者の方は裕福であり、補償を一番必要とする世代が、世の中から忘れ去られて行くのです。明日は我が身、自分も(いや貴方達も)時間の問題で、保険(補償)のない「おばすてやま」=姨捨山へ放置されるのです。(大爆笑)

《独り言2》 (数日前の23日のコメント)少し触れていますが、(昨夜)積立満期金から医療保険(メディカル・キットR)へのシフト(10年ぶん前納) の契約を頂いたのであります。(過去)様々な契約を頂きましたが、久方ぶりに(心底)飛び上がるほど嬉しい契約でした!ある意味で、「人生の贈与」!満期金で御当家の将来を託す!契約者(満期)=ご高齢 その子供さん(新たな契約者=被保険者)、自然的~人間的で、実に見事な契約でありましょう。何はともあれ、完全に成立するのを(告知~送金)待つのみ!でありますが、(一時間に渡ってご説明しました)ミツエさん共々、感激して帰路についたのです。

↓  http://www.nishiichi.jp/wordpress/?p=6864(2013年6月1日 筆者ブログ)本日ブログのご本人であります。実に自然豊かな、これこそ「風光明媚」!ご自分の「生家」も「田畑」も、大自然のド真ん中であります。(ホースから出ぱなっしの)裏山から引いた(落差による)天然の流水が、とても美味しかったです。↓

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2013/6/1 土曜日

台ヶ原 導水路(美祢市於福上=田代側より進入!) c  遂に、下関市豊田町台地区に!

★美祢市於福町上田代(落合地区) 側より進入約1.5キロ山沿いの「導入路」の最終地点。ここから「伏樋=ふせどい」にて、農業用水は、一気に谷を下るのです。古来から伏樋は、丸太をくり抜いた木管や桶などを継ぎ足して造ったとか?手練りによるコンクリート管に進歩し(ドイツより土木技術者を招へい)、何本も継ぎ足して「伏樋=ふせどい」が完成していきました。それでも、失敗の連続であり、集団(耕地整理組合)は団結して、遂に完成していくのです。

↓ 「田代口」からの「導入路」の最終地点。ここまで1.5キロ。「伏樋」にて農業用水を落とす。

 

↓ この「伏樋」入口の右の山道を数10メートル下ると、いきなり前方が開けました。別世界であります!ここは旧:豊浦郡豊田町台地区 (現在は下関市と合併)「渡邉慎一」宅の50米山手に飛び出たのです。筆者もこれは初体験、(渡邉さんはお客様、数度となく訪問歴あり)上台地区(下方)から登ってきたことはありますが、ここで体験が繋がりました。山間(やまあい)から突然に出たところに、農作業中の「渡邉慎一」さんと遭遇!(双方とも)ビックリしましたねえ!時期が狩猟期間中なら、間違えて撃たれても仕方がない?ロケーションでした。(ご本人はハンターでもあり、筆者のオヤジさんの猟師仲間でもありました。渡邉さんの自宅までの私道を、町道格上げするために、手助けをしてもらったとか!(昭和の40年頃の話)このあたりの用水は、(先ほどの)下る「伏樋」の手前から引かれております。導入路のお陰にて、畑が田んぼ(水田)にランクアップした地帯なんですね。

↓ 下のスナップのか中段の山々が、今回の主役「台ヶ原」の丘陵地帯であります。その台地に水を吹き上げるのです。スナップ内の一番高い山は、旧:豊浦郡と旧:大津郡の境界点=堂ヶ岳(588米) 現在の「下関市」「長門市」の境界であります。その中心点から直線にして左側約2キロ強?辺りに「安徳天皇:西市御陵墓」=前方後円墳 があるはずです!山の向うは「俵山温泉」「湯本温泉」ですねえ。

「伏樋=ふせどい」のコンクリート管は(このあたりは、かなり古い管だとか?)トラクターの後方を(一気に)下っているそうですが、地中に埋めてあり目撃は出来ませんでした。

↓ 「渡邉慎一」さん バッタリ出会いました。お互いにビックリ!仰天!

↓ 「伏樋」が下り終えた場所「岡崎勇」さん(弊社のお客様)この周辺の方々は(半数以上が)何らかの「東京海上日動火災保険㈱」のお客様でもあります。ここから「渡樋=懸樋」にて、白根川の数メートル(石橋)上を渡り、これから(再び伏樋にて)一気に「台ヶ原」の台地にかけのぼる(吹き出る)のであります。当時(100年もの昔)、ほぼ手作業にて、難しい土木事業(超難工事)をやり遂げたのですね。

 

 

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