ド田舎会長「人生哲学」9

2013年12月12日ぶん

『人生哲学9』親と子の関係、コメントの難しい題材であります。筆者の親父さんは、明治39年生まれ、確か?昭和52年9月4日(日曜日)狩猟事故にてsoーkuーsi! 73歳でした。(イノシシ猟にて狩猟仲間に誤射されたもの、日曜日の正午のテレビニュースで知り、現場の山林の入り口で、手板=ていた に乗せられた亡骸=なきがら を見ました。)日ごろから会話は少なく、少々 Kenーaku な関係でしたから、ご先祖的~親子的な伝承など皆無でありました。言わば、後姿以外、ほとんど教授を受けていなかったのですね。(当時)葬式の参列者は、おおよそ 千二百名強、田舎の 豊田町では記録でしょうか?(商工会長や猟友会長、町議会のBossなどでしたから、、、)

・筆者のオトコ兄弟は3人、筆者の戸籍上は四男、知らない兄2名は幼くして死亡(長男は5歳で赤痢、次男はSizan)母親が生んだ子どもは9人か?現存の兄弟姉妹は6名であります。(ほとんど)笑わない~怖くて難しい親父さんでした。「明治法律専門学校」=明治大学法学部の前身(関東大震災で学校は壊滅、結局、中退と聞いています。) へ進学した為、田舎にしては教育熱心でした。筆者が幼いころは、よく仕事(材木業)に連れて行ってもらいました。駐車していた6トンのトラックの運転席に座り、それが動いて(サイドブレーキが甘く、チエンジ・ギアーがニュートラルに?少し下り!)そのまま突っ込んだり、エンジンキーをまわして(エンジン始動、ギアーが入っていて)ぶつけた!のは、全て筆者の仕業であります。全て(3歳~5歳のころ)

家から12キロ離れた処から (深夜トラック運転席から降りて)家まで帰ろうとして8キロ先で地元の人に捕獲=保護された!のも筆者であります。
成長と共に、大型バイク1000ccをこっそり出して乗ったり、乗用車を直結して乗り回し知らん顔!)これも筆者(面白かった)全て時効であります。
この親父さんの死亡が、(弊社が)損害保険の代理店にシフトして行った根拠のひとつでもあるのです。言わば、掛け金数千円の保険料で、2500万円の死亡保険金(ハンター保険)が支払われたからですね!

・筆者:早々の帰省は(都会生活の落伍者)当初、親父さんは喜んでいたものの、自分勝手~好き放題、まともに家に帰らず、思い通りにならない。徐々に関係はAkkaしていきました。それなりの自動車販売など結果は残していましたが、諸々、それ以上のこと(品行よろしく~優秀な社会人~勤勉・親孝行)の期待をかけていたのでしょう。実際は親父さんの意のままにはならず、遂に「勘当書」を手渡されました。まあ、男の子が3人いますからねえ!次を期待したわけであります。きっかけは、家の建て方にありました。言わば、工場の敷地内に小さな自宅を建てようとした!ことでした。

・遂に怒りましたねえ!中学校の2年生の秋ごろに、テレビばかり観ていて、‘ 試験が一番に成ったからええじゃろう ’=初めて 実力テストで一番成ったから良いのでは! と口答えしたところ、よっぽど?虫の居所が悪かったのか(本人は、すぐそばで仲間とMA???していたのに、、筆者が邪魔だったか?)ぶん殴られました!母親が止めに入るほど(ひどく)、短気でしたねえ!そのUramiは(それからも)永く引きずっていましたが、それ以来の激怒でしたねえ。喜んだのは弟、これで会社の天下が取れる!のだと思ったそうです。その弟もその後家出(3年後帰ってきた)(話は終わらないので、続きは又の機会に、、、)

~< 杖立観光ホテル:ひぜんや > のロビーに設置されている中国製パソコン~キーボードからお送りしました。ロビーでは、相変わらず、多くの台湾のお客様が懇談中です。日本人の姿は皆無、どこか?外国に居る気分であります。編集パスワードを入れると編集機能がオン!なお、全館(室内も)無線ランは無料であります。

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