66歳にして、ピアノ練習を開始した「ド田舎会長」⇒「後山邦秋」尺八奏者(プロ)には、もの凄い指導を頂戴しました。あれから既に10年も経過したのですね!自分では判断できませんが、音感を頼りに ❝ 勝手演奏 ❞ で邁進してきました。
昨今は(もっぱら)Bb(ビーフラット)これは「変ロ長調」なんですが、「ハ長調」のドの位置より 1・半ほど下がったところが、Bbの「ド」の位置になります。「ロ」は「ハ」の1拍下がった処、「変」は(さらに)半拍下がる 、、、まあ こんな具合で「変ロ長調」=Bb=ビーフラットが自分の真骨頂なんですね!音楽的には、黒鍵盤が二つ→「ド」と「ファ」当然上のほうも黒の「ド」になりますね。実に音感が宜しく、歌謡曲などにも、たくさん使用されています。
右手は「旋律」を追いかけますし、左手は(単純に)三和音を押さえて行くだけの、単純な演奏なのです。・ド ミ ソ ・ファ ラ ド ・ソ シ レ の 三和音を瞬間的に素早く操作していく(凄く)幼稚な左手演奏なんですね。(これ爆笑)もう10年間もやっていますと、好きな曲を聴いて(それを)覚えてしまい(記憶か?)その場所に指が自然と行くから?摩訶不思議な操作なんです。一番は左手の和音ですが、これまた、自然と当該の音に比例して三つの指で追いかけが出きるのです。音に対して「強~中強~弱」を瞬間に変化して演奏する、ゆっくりしたり、すこし早くしたり、まあ「自由自在」に演奏するのです。ですから毎回異なる演奏になるのです。優しく~厳しく~もろもろの感情が音に出るように、工夫して、曲を仕上げるように努めています。
演奏してる曲は、(原則として)「抒情歌」がメーンですね!66歳のスタートが、「フォスター」中心の(4連)メドレー楽曲でした。「スワニー川」~「アニーローリー」~「主(あるじ)は冷たい土の中に」~「オールド・ブラック・ジョー」だったと記憶しています。
現在(全くの楽譜なしで)演奏可能な曲は、40数曲は超えるでしょうが、時たまテレビやネットで、興味のあるメロディー(楽曲)が見つかると、チョロッとメモをして、ユー・チューブなどで曲を確かめて覚えていくのです。まあ、はるかに無理な曲が結構あって諦めますが、やれそうな曲もそれなりにあるから不思議です。
現在(挑戦中の)楽曲は 〇「栄冠は君に輝く」古関裕而 〇「宗谷岬」船村徹 〇「野に咲く花のように」小林亜星 〇「庭の千草」アイルランド民謡 〇「峠の我が家」アメリカ民謡 〇「バラが咲いた」浜口庫之助 でしょうか??、、、
スタート時からのレパートリー曲ですが、 ●「夢路より」アメリカ(フォスター) ●「旅愁」アメリカ(オードウェイ) ●「埴生(はにゅう)の宿」イングランド民謡 ●「テネシーワルツ」アメリカ(キング) ●「家路」チェコ~オーストリア(ドヴォルザーク) ●「主(あるじ)は冷たい土の中に」アメリカ(フォスター) ●「アニーローリー」スコットランド民謡 ●「仰げば尊し」(なんと!)アメリカ生まれ(HND?) ●「ヘイジュード」英国ビートルズ(マッカートニー) ●「オールド・ブラック・ジョー」アメリカ(フォスター)が、ベスト10でしょうかねえ!
そうそう「讃美歌」で ●「主(しゅ)よ身許に近づかん」 ●「もろびとこぞりて」 ●「神とともにいまして」 ●「いつくしみ深き」 ●「きよしこの夜」 これら大好きな楽曲ですね!
その他のレパートリーとしては、 〇「北国の春」遠藤実 〇「小さな世界」アメリカ(ディズニー) 〇「ヘッドライト・テールライト」中島みゆき 〇「里の秋」~「みかんの花咲く丘」海沼實 〇「スワニー川」アメリカ(フォスター) 〇「ユーアー・マイ・サンシャイン」アメリカ(ライス兄弟?) 〇「高原列車は行く」~〇「憧れの郵便馬車」古関裕而 〇「憧れのハワイ航路」江口夜詩
●「蛍の光」 ●「千の風になって」 ●「ジングルベル」 ●「たなばたさま」 ●「聖者の行進」 ●「ダニーボーイ」 ●「ドレミの歌」 ●「故郷の廃家」 ●「知床旅情」 ●「川の流れのように」 ●「もみじ」 ●「浜辺の歌」 ●「ふるさと」 ●「どこかで春が」 ●「冬の星座」 などなど すべて楽譜無しでBb演奏可能ですね。
懐かしいです!
もう10年経つのですね。
尺八とピアノを聴きに行ったのを思い出します。(*^^*)
ようやくブログが再開されましたね。この間、私もネタを仕込んでいましたが、その前に触れておきたいテーマがあり、今回はそれを。
昭和49年に建てられた東京海上日動本店の赤れんがビルが遂に建て替えられることになったそうです。その昔、Gメン75という丹波哲郎主演のハードボイルド系テレビドラマの中で、そのGメン本部が置かれているという設定で、当時としては最先端のビルでした。毎年10月1日の就職活動解禁日になるとこのビルに学生が列をなすのが恒例で、一つの風物詩だったようです。
東京海上に入社する社員は皆、このビルで働く自らの姿をイメージして社会人のスタートを切りますが、人によってはほとんど足を踏み入れずに定年退職に至るケースもありますので、罪なビルとも言えます。さもありながら、東京海上の就職人気を支える武器となるハイカラなあのビルを、しかも皇居を見下ろすことから国や都と揉めに揉めたけれど何とか竣工させた経営陣は、なかなかの戦略性と交渉力を持っていたものだと感心します。
さて、このビルがどんな風に建て替えられるのでしよう。私は広く世の中のために役立つ空間にして欲しいですね。コンサートホールとか美術館とか、もちろん緑もたくさんあって、皇居を走るランナー向けの施設もあったら良いですね。そしてビル名には会社名などは付けず粋なネーミングになったら最高です。だって数多くのお客様や代理店さんのお陰で建てられるビルですからね。
まあ、30年以上働き、柱の一本とは言いませんが窓ガラス一枚分ぐらいは貢献しましたので、好きな事を言わせてもらってもバチは当たらないでしょう。
もう数年前になるかと思いますが上京時、品川プリンスホテルでの帰り際ロビーのピアノで弾かれた『ヘイジュード』1曲だけでしたが音響も含め素晴らしいものでした。今でも機会があればもう一度聞きたいと思っています。馴染みのパソコン使用可能になったのですか?。
ブログ再開ですね!楽しく拝読させていただきました。オリンピックパラリンピックが無事に最後まで開催され、テレビにかじりついてましたので、オリパラロスです。でも、コロナが少し収まってますので、世の中も少し活気がでてきたような気がします。会長もご自愛いただき、ピアノ、ゴミ拾い楽しんでください!
今朝ほどはお電話ありがとうございました。
人間年齢を経ると、先ほどのことも忘れ昨日何をしたかも思い出せないような状態です。
今朝ほどの件たぶん「蘊蓄」「うんちく」ではなかったかと存じます、薄学で文字の使い方も曖昧ですが、私なりの考えでは「ある分野について蓄えた知識のこと、その知識について淡々と語ること」と理解しています。
何せ新制中学のみの学力、失笑のほど。