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国内旅行「青春18きっぷ」 特集 f-1

2014年9月6日~7日ぶん

「青春18きっぷ」  (埴生~大分)

少し日にちが経過しましたが、本日より6連載で、「青春18きっぷ」スナップ第3弾をお送りします。駐車場の関係で、「埴生」がスタートとなりました。早朝5時48分発~「下関」6:14着「下関」6:16発 大分行き普通電車  「大分」 9:03着
「大分」で、「豊後竹田」行き12:13発まで時間があるので、温泉に出かけようと「大分駅観光案内所」に出向きました。近場に「サマ・サマ」温泉センターがあることがわかり、バスにて行きました(駅から3つ目)。10時オープンで2番目の客となりました。お湯が「ヒスイ色」をしており、中々の温泉(沸かしている)でした。(新川天然温泉)(9月6日)

(大分~豊後竹田)=豊肥本線
「青春18きっぷ」の旅は、一日¥2370で普通列車・乗り放題の魅力です。(苦笑)「大分」12:13発 「豊後竹田」13:30着 ここでストップ、折り返し運転。熊本方面には、14:25発の「宮地」行きを待つしかありません。(なお、九州横断特急は、別府~熊本~人吉を運行していますが、青春キップでは乗車できません。一日3~4往復?)

大分市より「豊肥本線」に乗り換えます。・豊=豊後(ぶんご)・肥=肥後(ひご)昔の国名ですね!豊後=大分地方 肥後=熊本地方 大分県と熊本県を結ぶ「九州横断鉄道」が「豊肥本線」です。「豊後竹田」(ぶんごたけた)竹田=たけた 「滝廉太郎」の作曲した「荒城の月」=岡城址 で有名であります(別名:豊後竹田城)。(作詞=土井晩翠 宮城県仙台生まれ)仙台城跡に胸像や「荒城の月」碑文があるとのこと。「滝廉太郎」は東京生まれですが、官僚だった父の勤務地の関係で、幼い頃に竹田に住んでいたとのことです。
★筆者は「岡城址」には一度見学したことがあります。(当然、バス旅行でしたが、、)豊後竹田駅からは約3キロありますので、歩くのはどうか?タクシーで¥700~750くらい、往復でも¥1500ですね。観光客の方が良く利用されるそうです。(9月7日)

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「児玉進矢」さんから頂戴したコメントです。
 2022年10月28日ぶん

イギリスには古い街並みがあります。その最たる場所はコッツウォルズでしょう。イングランド中央部になだらかな丘陵地が延々と広がっていて、一見すると北海道の富良野や美瑛地方に瓜二つの田園地域があり、その辺りを総称してコッツウォルズ地方と呼んでいます。そこには大小様々な集落が点在し、それぞれに個性的な街並みを形成していますが、共通しているのはハチミツ色のレンガで家や塀が作られていることです。

おそらく中世の頃に建てられたものでしょうから、築後数百年の建屋です。鉄骨や鉄筋が入っているわけでもなく、「3匹の子豚」の童話に出てくるようなレンガを積み上げただけのシロモノが立派に現存しています。まあ、日本のように地震や台風が来たら即全壊でしょうが、この土地にはそういう自然災害がないのでしょうね。

それにしても、です。もっと近代的で快適な建物に住みたいと思った人も多いことでしょうが、昔ながらの家を修繕しながら代々に亘り住み続け、街並みの美しい景観を維持してきた人々の努力には頭が下がります。きっと日本の白川郷の住民と同じで、祖先から引き継いできた歴史や文化の守り人という意識がそうさせるのでしょうね。

ところで、ここでもイギリスらしいものを発見しました、、、パブです。どんな小さな集落でも教会とパブは必ずあるんですね。商店などはなくてもパブだけは不思議とあるんです。何はなくともイギリス人はぬるいビタービールを片手に口角泡を飛ばしてきたのでしょう。さすがに白川郷には赤提灯はありませんからね。

ド田舎会長「人生哲学」 8

2013年12月11日ぶん

この「ド田舎会長」ブログ、どこと無く「自伝」?的~「回顧録」?的な様相を呈してきました。もうすぐ68歳も終わり、順調に行けば、70歳の大台に突入します。まあ、(頭が)MATOMOなうちに、自伝らしきことをコメントするのも一興であります。よろしくお付き合いの程、お願い致します。

(大学在学中の)バイトの年数は別として、僅か! (卒業後) 1ヶ月で生まれ故郷(ド田舎)に引っ込みました。いや、名誉ある帰郷です。少々早かった凱旋ですが、当然と言えば当然、これもまた運命でしょう。福岡では色々と????ありました。24歳になって結婚願望が急速に出てきました。(早い話が、決まった 、、、 が欲しかった?だけのこと、結婚後のことなど全く考えておりませんでした。) 我々の結婚はズバリ ‘お見合い’ によるものです。筆者は2度目、家内の方は聞いたことがありません。(、、、 関連は全くしゃべりません)筆者は24歳、家内は22歳でありました。現在の風潮からすると、かなり早いのかも?、、、短大を出て、就職したての彼女、1年6ヶ月~7ヶ月目にお見合いしたのです。

彼女は「お世話人さん」の顔を立てる?ため、嫌々来たようでした。筆者も(まあ)見合いをしないと貰い手がない 、、、、大した 、、、、は来ないだろう?とタカをくくっておりました。彼女の方が遅れてきました。瞬間、おとなしそうな 、、、、、 だなあ?この子はMOTEないな?そんな印象を覚えています(実際はその逆、怖いですよ!)。彼女の(アトでの)弁によると、????? 、、、、ピエロみたいで、、、、、にもてない可愛そうな男(ヤツ)!北京原人か!と思ったそうです。昨日の「第六感」ではありませんが、自分の未知の世界の 、、、、、 でしたねえ!少しばかり付き合ってみてみようか?地味で質素、薄化粧、口数も少なく、心配人さんの顔もあるし、、、、筆者のボロ車(ダイハツ・スパイダー=オープンカー)に乗せて、2時間ばかり(当ても無く)走りました。彼女は(ずいぶん)腹を立てて、途中で降りてしまいました。(当然)その後、黙って、、、、、送り届けましたが、、、翌日、お断りのtelが入りました。

・双方の両親は、4人とも大反対、(当方側=商売には向かない、やめとき、、、・・が小さい=子供が生めるか?)(彼女側=、、、、???品行が悪そうだ、、すぐ、、、、をする)まあ、通常ならこれでお終いですね。この難局を切り開いたのは(紛れも無く)筆者の第六感?であります。こんな「高慢ちき」な 、、、、の鼻柱をへし折って見せよう。どこと無くmonoにする意欲が湧いてきたのです。それから(ほぼ)毎日(一方的に)仕事が終了する時刻(夕方5時)、彼女の会社内=入り口に待機したのです。現代風で言えば、ストーカーそのもの?です。不思議なことに(嫌々ながら)彼女は出てきたのです。何か?興味があったのでしょうか?それから約1ヶ月間、確実に毎日欠かさず説得に出かけました。(ここまで、、)

・ 貯めていた貯金は全部お袋さんに渡しました(いい恰好を見せたつもり??)。結婚式は地元公民館、披露宴は昼と夜の2回を二週続けて(合計4回、地元の旅館にて)、全部で450名のお客様、これは案外豊田町の記録では、、親父さんの全盛期でしたから、選挙(町議会議員)で常時トップグループでしたからね、、主だった弊社のお客様にお声がけしました。(当時の町内の戸数は2500戸)それから毎年子供が出来て、45年出産 47年出産 50年出産 、、、、、、、、、、、48㌔の体重は39㌔まで落ち、出産と子育てでボロボロでしたねえ。産後のヒダチも良くなくて、べったり医者通い、大変な 、、、、 と一緒になったのです。大変申しわけありませんでした(もう遅い!)

・末っ子(若社長)が小学校に入ると同時に(彼女は)仕事に就きました。敢えて一番難しい「生命保険の外務員」に入社させました。筆者の片腕にする為、鍛えてもらう!為、それより前に、体を元気にする為!が一番の狙いでした。出産と育児ばかりで体の調子が狂っていましたから、、それと2馬力の収入も目的でした。このあたりも筆者の「第六感」?なんです。彼女のお父上は(当時)JA厚狭の課長職、生命共済:推進では有名なお父上でしたから、同じ性格に期待したのです。苦労して苦労して、結局(弊社に来るまで)大手生保に15年間も勤め上げました。後半は筆者の給料を越しており、自宅のローン~子供教育費(授業料など)彼女の成果なんです。そして遂に、「東京海上日動グループ」が生命保険を始めて3年目から、弊社の一員となり、今日まで驀進しているのです。まさか?が まさか!東京海上が生保をするなんて?まるで預言者みたいでしょう!現在14年連続(全国入賞中) 今、15年連続入賞目ざして、目の色が変わっております。3月末まで、残り約30件の新規契約が必要となりますけど、、、