宮崎」カテゴリーアーカイブ

国内旅行「青春18きっぷ」 特集 g-3

2014年8月27日ぶん

「青春18きっぷ」  (真幸=まさき~矢岳=やたけ~大畑=おこば →人吉)

肥薩線「矢岳」駅です。古くは鹿児島本線であり、一番高いところに位置します。人吉駅から言えば「大畑=おこば」駅そこからはループで登り、下りは「スイッチバック」で「真幸駅(まさき」まで降りて行くのです(このたびは逆です)。ここ豊田町に「有村矢岳」君=村田金物店勤務 がいますが、先日(ご本人に)聞いたところ、お父上がこの駅名(矢岳という山がある)からこの名前をつけたそうです(さぞかし「矢岳」の土地柄か?駅舎か?山頂からの眺めか?を感激されたのでしょうね!)。ディーゼル機関車が無いころ、SLが前と後ろに連結され、真っ黒い煙を上げながら登っていったのでしょう。

(参考までに=調べました)
「矢岳」は標高1132㍍  「矢岳」駅は、標高536.9㍍
A,吉松駅=鹿児島県姶良郡(あいらぐん)湧水町
B.真幸駅(まさきえき)=宮崎県えびの市大字内堅⇒スイッチバック
C.矢岳駅(やたけえき)=熊本県人吉市矢岳町⇒標高が一番高い
D.大畑駅(おこばえき)=熊本県人吉市大野町⇒ループ

★(ネットから) ↓

駅正面に小さな集落と田畑がある。鉄道開通までは陸の孤島であったというが開通と同時に集落が形成され、既に大正時代半ばには駅弁販売も行われていた。しかし川内廻りの海線の開通とともに肥薩線利用者も激減し現在は当集落も過疎化が進み、付近の矢岳小学校は休校となっている。

矢岳駅より少し南側の踏切付近に熊本県と宮崎県の県境があり、そのすぐ南側に矢岳第一トンネルがある。日本の鉄道の初期に建設されたこのトンネルは難工事を極め、多数の犠牲者を出したほか、異常出水によって資材運搬用の馬が荷物ごと押し流されてしまったという話も残る。観光列車「いさぶろう・しんぺい」の名前の由来となった山縣伊三郎と後藤新平のそれぞれの筆による扁額「天険若夷」(てんけんじゃくい)と「引重致遠」(いんじゅうちえん)は、このトンネルの難工事を労るものでもある。なお扁額の意味は、「天険、夷(い)の若(ごと)し(天下の険しい難所を平地のようにした)」・「重きを引きいて遠きに致(ち)す(重い物を引いて遠くへ至ることが出来る)」とのことである。

この付近の東側2kmほどに肥薩線と平行して九州自動車道加久藤トンネルが通る。

矢岳第一トンネルと矢岳第二トンネルの間からは日本三大車窓のひとつ・矢岳越えからの霧島連山とえびの高原の絶景を望むことが出来る。ここで「いさぶろう」・「しんぺい」は一時停止して車窓を満喫できるサービスを行っている。天気が良ければ桜島、さらに条件が重なれば開聞岳までも望むことが出来る。

国内旅行「青春18きっぷ」 特集 g-2

2014年8月26日ぶん

「青春18きっぷ」 (吉松~ ‘ しんぺい号 ’ ~人吉)

・「青春18きっぷ」を利用しての各駅停車:九州一周の旅であります。6:58発「宮崎」から「西都城」=日豊本線、9:18「隼人」着(待機)10:32発。そこで乗り換え「吉松」へ11:42着=肥薩線 実に偶然に吉松からの乗り継ぎが(7分後) 11:49発 ‘しんぺい号’ 「人吉」行きでした(案外と有名らしい)。全くの偶然で、一日2本の「しんぺい号」普通電車であり、「青春18きっぷ」で乗車可能です。但し、何でも「指定席」がプラチナで、自由席は数席のみ!何も判らず乗り込んだ次第であります。2両目の最前列の席が空席だったため、図々しく座りました。何と!何と!ここは「指定席」でも誰も座らず、まあ売れてはいるものの誰も来ず!でしょう。案の定(最初の駅=真幸(まさき)駅で)暗くて冴えない年配の‘車掌さん’が来て指定席料金を請求されました。満席で立ち席も一杯、これこそ????ですかね?(苦笑)

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☆★ネットより ↓

真幸駅(まさき)は、宮崎県えびの市大字内竪にある、九州旅客鉄道(JR九州)肥薩線の駅である。

宮崎県で最初に出来た駅であり、肥薩線唯一の宮崎県内の駅である。「真の幸せに入る」に通じるとして、入場券などで人気がある。以前は駅周辺には集落があったが、度重なる土石流災害で住民が移転し、現在は周辺の建物もまばらである。

単式ホーム1面1線を有する地上駅。肥薩線の山線と呼ばれる険しい区間にあり、通過不可能な逆Z字型のスイッチバック構造で、かつて運転されていた優等列車も必ず停車しなければならず、急行列車は客扱いを行っていたが、特急は運転停車であった。
駅舎は開設当初のものである。
ホームの中程に「幸せの鐘」が置かれている。幸せと感じる度合いに応じて鳴らすのが良いとされている。
地域のボランティアが駅ノートを設置し、特産品やお茶のサービスなどを行っている。また、ボランティアがいる時間帯では記念入場券を購入することができる

「いさぶろう」「しんぺい」は人吉ー吉松間を結ぶ普通列車なので乗車券と指定席券があれば乗車できます。人吉を出ると25パーミル(100mで25m登る勾配)勾配を登り最初の駅大畑に到着しますここからスイッチバックとループで急勾配を登り矢岳駅に停車そして勾配を下り真幸駅へここには幸せの鐘があり鳴らすことができます。そして終点の吉松へ1時間半の列車の旅です。
列車には客室乗務員の女性がおり、観光ポイントで説明をしてくれます。
各停車駅に6・7分停車するので駅の観光スポットを見て回ることができます。
JR九州は観光列車に力を入れているので鉄道マニアの方はもちろん、マニアでない方も十分に列車の旅を満喫することができると思います。
のんびりと旅をしたい方にとっては最適だと思います

★「しんぺい号」について

「いさぶろう」「しんぺい」は、1996年(平成8年)3月16日に当時人吉駅 – 吉松駅間に4往復運行されていた普通列車のうち、1往復について専用車両を投入の上、固有の列車名を付ける形で運行を開始した。下り(人吉駅→吉松駅)は「いさぶろう」、上り(吉松駅→人吉駅)は「しんぺい」と別々の列車名で運行されている。この区間は日本三大車窓の1つに数えられる矢岳越えを始めとして車窓の良さに定評があり、名所では一時停車したり徐行運転を行うなど、当初から観光列車としての性格が強い列車であった。

2004年(平成16年)に九州新幹線鹿児島ルートが部分開業すると、新たに専用車両を投入したのもあって人気が高まり、当初は1往復、1両編成での運行だったのが現在では2往復、2両または3両編成での運行となっている。

愛称の由来は、「いさぶろう」が人吉駅 – 吉松駅間が建設された当時の逓信大臣山縣伊三郎、「しんぺい」が同区間開業当時の鉄道院総裁であった後藤新平で、矢岳第一トンネルの矢岳方入口に山縣の「天険若夷」、吉松方に後藤の「引重致遠」の扁額が残ることにちなむものである。それぞれ揮毫者の名を冠する列車が揮毫した扁額に向かって走る形となる。

★「肥薩線」について

熊本・宮崎・鹿児島のいわゆる南九州3県を縦貫する唯一の鉄道路線である。1909年(明治42年)の門司 – 鹿児島全通時は鹿児島本線(1908年まで「人吉本線」)の一部であったが、1927年(昭和2年)八代 – 鹿児島間の海岸沿いに新線が開業すると、元の区間は旧肥後国と旧薩摩国を結ぶことから「肥薩線」と改められた。さらに、1932年(昭和7年)に隼人 – 鹿児島間が日豊本線の一部となったため、残る八代 – 隼人間は、その路線名にも関らず、旧薩摩国を通らないこととなった(吉松‐隼人間は旧大隅国に属する)。ただし、大隅国も薩摩藩の領地であった。

ローカル線ではあるが、1974年から1980年まで博多 – 宮崎間の特急「おおよど」、1959年から2000年まで熊本 – 宮崎間の急行「えびの」(当初は準急)が経由し、吉都線とともに中九州と南九州を結ぶ役割を持っていた。

「えびの」廃止以後、特に利用者の少ない人吉 – 吉松間については廃止の可能性も取り沙汰されていたが、2004年3月13日の九州新幹線部分開業を期に、八代 – 人吉間の球磨川沿いの風景や国見山地を越える人吉 – 吉松間のスイッチバックとループ線、日本三大車窓の一つに数えられる矢岳越え、古くから残る駅舎などの観光資源に着目し、観光路線としての整備・PRが進められている。

2005年まで豊肥本線で「SLあそBOY」として運転していた蒸気機関車58654(8620形)が修復され、2009年4月25日から熊本 – 人吉間で「SL人吉」としておおむね金・土・日曜日・祝日および夏休み期間中に1日1往復運転している。

2008年度分の統計によると、肥薩線の輸送密度は610人/日であり、JR九州の路線中では2番目に少ない(最下位は吉都線)[1]。国鉄改革の際、肥薩線は輸送密度が1,000人/日以上であるということで廃止対象の特定地方交通線の選定を免れたのであるが、現在の輸送密度はこれを大きく割り込んでいる。610人/日という数字は、特定地方交通線として廃止され、路線バスに置き換えられた大隅線や志布志線の輸送密度の半分にも満たない。